ハカってワカった話-広島・長崎から74年

二宮志郎

物理法則は裏切らない

今回の測定結果表を見ると2011年産の茶葉が4番目の位置にあります。これは、2012年3月14日に測定したものを、7年4ヶ月間測定室で保管していて、それをもう一度測ってみたものです。中身が外部に漏れ出ないようにきちんと保管した場合、放射能は物理的半減期によって減るのみです。Cs137は半減期30年なので、7年4ヶ月での減少分は約16%で、このレベルの減少は測定誤差に隠れてしまって、測定結果はほぼ減らないということになってしまいます。2012年の時のCs137の検出値は237Bq/Kgで、今回の測定結果は235Bq/Kgとほぼ同じような数値が出ています。測定方法に若干の改善があったので、16%の分はその改善分程度ということのようです。

放射能は、その物理半減期を通して減っていくということに関しては決して裏切りません。半減期以上に崩壊を早める研究もあるようですが、何やら巨大な設備とエネルギーを使ってやっとほんのわずかという程度で、「毒を消すためにもっと強烈な毒を使う」という感があり、実用には程遠いです。

広島・長崎から74年

この原稿を書くのが少し遅れてしまったせいで、8月6日、9日が過ぎてしまいました。「原爆の爆発時に大量に発生した放射能は74年を経てどうなっているのだろう?」という疑問が湧いてきます。半減期30年のCs137であれば、74年間で約18%にまで減少します。かなり減っているとはいえ、元の量が1000Bq/Kgであれば180Bq/Kgということですから、まだまだ測定可能な量で残っているはずです。

「国立国会図書館デジタルコレクション」の中に「東京電力株式会社福島第一原子力発電所および広島に投下された原子爆弾から放出された放射性物質に関する試算値について」というタイトルの資料があります。 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/6017196

これを見れば、福島原発事故と広島原爆で放出された放射能の量を比較することができます。Cs137だけ比べれば、福島原発事故は広島原爆の約170倍の量を放出しています。

意外と少ない原爆の長半減期残留放射能

広島原爆が放出したCs137は福島事故の約1/170とはいえ、広島上空で一瞬の爆発によって放出されたわけですから、かなり高濃度に地表を汚染したのではないかと思われるのですが、実際はそうでもなかったようです。

そもそも、そういう調査資料があまり存在しないのか、あるいは存在するが公表されていないだけなのか、インターネットでリサーチするレベルではほとんど見つかりません。今中哲二さんがつい最近(2018年)に調査結果を発表しているのですが、それを見てもデータの入手にはかなり苦労されているようです。今中さんの調査では結局原爆由来のCs137を示す確かなデータは得られなかったようです。今中さん達は2013年に早期入市者への入念な聞き取り調査の結果「ある『広島原爆早期入市者』の記録」も発表していて、大変興味深い話です。(インターネットで検索すればすぐ出てきます。)

黒い雨に打たれた人や、家族を探しに早期に爆心地に入った人達がひどい放射能障害に悩まされた話を聞いて、かなり激しい残留放射能があったことを想像していたのですが、Cs137の様な半減期の長い放射性物質がほとんどないというのは意外なことでした。

長半減期放射能は今もどこかにある

どうして広島・長崎で出た長半減期放射性物質を調査した資料が少ないのだろう?と思うと同時に、ハカルワカルを始めてから8回目の原爆記念日を迎える時までそういうことを考えてみなかった自分自身の想像力の乏しさも痛感します。

前述の資料によれば広島原爆が放出したCs137の量は89兆ベクレルと試算されています。物理法則は裏切らないので、その18%、約11兆ベクレルの広島原爆由来Cs137は、幸いにも広島の地では明確に検出されていないようですが、今もどこかにあるのです。もちろんCs137以外にも長半減期の放射性物質はあります。物理法則には逆らえませんが、「これ以上増やさない」ということはできるはずです。

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7月6日(土)定例お茶会「地域に根差した草の根活動・・・ 先駆的お二人(山本智恵子さん、斉藤金夫さん)に聞く」

山本智恵子さんのお話「子どもの健やかな成長を願って」の草の根運動

私は一介の主婦にすぎません。でも子供たちの命と健康を守りたいとこの50年、草の根で運動をしてきました。この運動は1960年代に暮らしていた立川のけやき台団地で始めました。1970年代に入ると、高度成長で物価が上がり、公害問題が多発しました。そんな時、春山猷子さんに出会いました。彼女のミニコミ誌「とんねる」がポストに入っていて、「子どもの命を守り、よりよい社会を目指す」という活動目標に心を揺さぶられ、ともに活動を始めました。

初めに取り組んだのが「安全な食べ物とは何か」でした。農薬を使わない有機農法について学び、そのような作物を作っている生産者(人間らしい生き方、繋がりを求めて大地と格闘している全国の青年ら)とつながりました。有機農法の野菜を共同購入し、主婦市場で売りました。リヤカーで運び自転車で駆け回る生活でした。安全な食べ物だけでなく、合成洗剤を使わない運動、ベトナム戦争の加害国の国民として、ベトナムへ米を送る運動もしました。日本消費者連盟の元になった運動にもかかわりました。1974年に使用禁止となった添加物のAF2はハムや豆腐の殺菌剤ですが、初代会長となった竹内真一さん(主婦の熱意に、官僚をやめて消費者運動に飛び込んだ方)の方針で、豆腐屋を1軒1軒回って協力を訴え、草の根から禁止に持ち込みました。

八王子市北野台に転居してからは、鈴木俊夫さんという、健康診断で血液中から残留農薬が検出され、有機農法へ大転換した青年と知り合い、主婦たちで援農に行き、生産者とつながりを持ちながら共同購入をしました。価格は生産者の希望通り、全品買取りをルールにしました。私は運動をする時は一人でやり始め方向性が決まってから周囲に声をかけるんです。  1986年のチェルノブイリ事故で放射能汚染の恐ろしさを知り、高木仁三郎さんを招いて講演会を開いたり、測定室を作る運動もしました。八王子中央診療所の創設者の星川光義さんたちと原発反対運動もしました(この方は八王子教職員出身で、最後はお一人で原発反対運動をされていたそうです)。しかし福島原発事故を止められなかった。放射能の危険性を知りながら止められなかったことは申し訳ない気持ちでいっぱいです。その後は、遺伝子組み換え食品、BSE問題、産地偽装問題、環境ホルモンの問題などに取り組んできました。今はゲノム編集食品の表示を求める運動に取り組んでいます。日本政府は、企業の側に立ち、なかなか国民の健康を守る立場に立ってくれません。私たちの運動はそれに抗う運動でした。そして、これらの運動は、自分だけが無農薬野菜を食べれば済むという運動ではなく、子どもたちの健やかな成長のために、どのような社会を築いていくかという運動だったと思います。

【追記】山本智恵子さんは、ハカルワカル広場をつくる運動で測定器を購入する資金を集めたとき、ご自身の繋がりのある地域の方々に声をかけて、たくさんのお金を集めてくださいました。

*参考文献・・「安心して食べたい、食べさせたい!」
(ほんもの食べ物を守り育てる会・山本智恵子著)
山本さんの半世紀の活動の記録です。測定室にも置いて貸出しています。

斉藤金夫さんのお話「原発の危険を訴える運動」

「え~!本当なの!?」八王子市がヨウ素剤を備蓄していたと話すと、西田照子さんは驚きました。今年の3月、ハカルワカル広場が「ヨウ素剤を全市民に配布してください」という請願を八王子市にしていた時のことです。そしてぜひその話をお茶会でして下さいとのことで今日はここに来ました。

原発を54基も建設し、「絶対に安全です」といっていた国と東電でしたが、私たちは原発の危険性を訴える運動をしていました。2004年5月24日、八王子総行動(*)で、市の防災課に「ヨウ素剤配備の要請」を行い、毎年その要請を行っていました。防災課(長)にヨウ素剤の必要性を認識してもらいたいと、様々な資料を届けました。特に2003年1月、市は川越市と「災害時における相互応援に関する協定」を結んでおり、その川越市は1994年に首都圏で初めてヨウ素剤を配備していました。このことを指摘すると課長は「勉強したい」と答え、2006年11月16日の要請に、「市の大規模災害時の緊急薬品にヨウ素剤2000錠を加え、保管場所の東海大病院と東京医科大八王子医療センターに預けました」との回答をしました。しかし、私たちはこれを大々的に宣伝せず、防災課の判断を尊重しました。
ところが2011年3月11日の福島原発事故の後、市の保健所から私たちに電話があり、「ヨウ素剤を供出してほしいと国が言っているがどうでしょうか?」とのこと。「保健所の判断に任せます」との対応をしました。八王子のヨウ素剤が原発事故に役立ちました。(文責:西田照子)

(*注:八王子総行動実行委員会とは、八王子市内の労働組合、民主団体、業者団体などでつくっている団体で、これまで37年間、企業や官庁、八王子市に種々の要請を行ってきた。どなたも自由に参加可能です)

【飯館村の絵】飯館村の線量が高くなった原因は地形だった。全村避難だったのに特養老人ホームに16人が残っていた。モニタリングポストの周りだけが徹底的に除染されていた。

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9/7 第22回映画会 第八の戒律

第八の戒律 DAS ACHTE GEBOT

(1991年 / ドイツ / 95分 / 監督:ベルトラム・フェアハーク &クラウス・シュトリーゲル / 制作:デンクマル・フィルム )
 海に流し、拡散したはずだった放射能は、 今、海岸に戻ってきて、じわじわと生命を蝕んでいる ヴァッカースドルフ再処理工場の建設は中止された。鉄柵は解体された。
 しかし核廃棄物は残る。カメラは世界中から核廃棄物が持ち込まれるフランスのラ・アーグ、 イギリスのセラフィールドへ向かう。そこで見た放射能汚染の現実は‥‥
 題名はモーゼの十戒第八「偽りの証言をしてはならない」を意味する。
 原子力開発の 50年、それは嘘とごまかしの歴史だった。原子力産業を推進してきた科学者、 政治家、事業者は一体何をしてきたのか‥‥彼らのやり方と言葉は、なぜ国を超えてこうも似 ているのか。
 核開発と原子力利用の実態をグローバルに俯瞰し、人類、生命への脅威ととらえ警鐘を鳴らす 問題作。あなたは、どうしますか?

制作者インタビューより
「映画『核分裂過程』を撮ったことにより、どんなに巨大な企みが画策されているかを明らかにしたい という思いに駆られました。『第八の戒律』は原子力 40年の歴史を描こうという試みです。これは実は 民主主義に ついての、共に生きる方法についての作品なのです。」(ベルトラム・フェアハーク)

第22回映画会 第八の戒律 チラシ ダウンロード

8/29~9/19 北ドイツの反原発ポスター展開催

 1970 年代から30 年以上にわたって反原発運動を展開している北ドイツの村、ゴアレーベン(Gorleben) に移住したアーティストたちが作成したポスター展を行います。
 この村では、1970 年代に核のゴミがこ の村に運ばれることになったことをきっかけに反原発運動がはじまり、現在まで続いています。
 地元の NGO が「ゴアレーベン・アーカイブ」を立ち上げ、反原発運動の記録を保存、管理しています。
 3.11 の 震災による福島第一原子力発電所事故は、ドイツの人々にも大変大きな衝撃を与え、アーカイブの関係 者は、原発事故を体験した日本の人々にも、この運動の輪を広げていってほしいと貴重なポスター類を 主婦連合会/主婦会館に寄贈しました。
 このコレクションをハカルワカル広場で公開展示いたします。
 主婦連合会のご厚意によりお借りできまして、深く感謝申し上げます。

北ドイツの反原発ポスター展のチラシ ダウンロード

第21回ハカルワカル広場映画会 祝福(いのり)の海

監督 東条雅之  ドキュメンタリー映画 

色とりどりのいのちが暮らすこの地球(ほし)で
いのちが喜ぶ暮らしとは? 世界とは?
平和を求める旅の中で、出会った人たちの
暮らしや言葉が紡がれて
ドキュメンタリー映画となった

今、母なる地球とすべてのいのちと繋がりを取り戻すために
3.11以降の生き方のヒントがここにある

「見て」「聞いて」「感じて」!
5月11日(土)お茶会 ハカルワカル広場にて上映します。
参加費は500円です。どうぞご参加ください。

2019/04/09
ハカルワカル広場

4月6日(土)ハカルワカル広場お茶会「微量放射能の危険性」1ミリシーベルトを巡って

今さら聞けない放射能の話を、教えて!二宮さん、一緒に考えましょう。
是非ご参加下さい。お待ちしています。

2019.03.12
ハカルワカル広場

微量放射能監視プロジェクト地名コード・インデックス

微量放射能監視プロジェクト 地名コード・インデックス

昭島A 川口町D 館町B 東浅川A
昭島B 北野台A 館町C 東浅川B
御前崎市A 小比企町A 館町D 町田市A
御前崎市B 小比企町B 館町E 瑞穂町A
御前崎市C 小比企町C 館町F 緑町A
御前崎市D 相模原A 寺町A 元本郷A
上壱分町A 相模原B 中野上町A 元本郷A-2
川口町A 大楽寺A 長房町A 八日町A
川口町B 高尾町A 西浅川A 横川町A
川口町C 館町A     

(あいうえお順)
地名コードをクリックするとその地名のゼオライト測定結果表が表示されます。
表の中のスペクトル番号にカーソルを置くとURLが出てくるので、それをクリックしてスペクトル履歴を表示します。
この表に直接アクセスしたいときは、ホームページ右サイドバー カテゴリーの中の「ゼオライト地名コード表」をクリックして下さい。

 

シジュウカラの巣の苔類 放射能測定報告


7月11日(水)、ハカルワカル広場に置いてあるシジュウカラの巣を巣材別におおまかに分類しました。全員マスクをして、乾燥した巣材をお箸で仕分けました。

主に苔などが下に敷かれ丸く巣の形になっており、その上に獣毛が乗ってフカフカのベッドになっていました。苔類(31g)、獣毛(8g)、その他(1g以下でビニール、毛糸や植物の茎)の3つに分類しました。
3/7測定の18030702では、重量191gでしたが、付いていた土などを捨てたので計40gでした。

苔類(31g)                        苔類拡大

獣毛(8g)                         その他(1g)

水曜日チームに、苔類(31g)を容器500Mで測定してもらい、見る見るうちに高いピークが出てきて、立ち会った3人ともびっくりしました。獣毛(8g)も測定してみましたが、検出できず、測定を中止しました。

放射能測定結果 2018/07/11
18071103 巣箱の中の苔類 2018.7.11分類したもの 東京都八王子市緑町 31g 500M
Cs137 検出 測定値: 2,600.0±520.0 ベクレル/kg
Cs134 検出 測定値: 296.0 ±90.0 ベクレル/kg
Cs合計 2896ベクレル/kg 18030702から苔を取り出して測定 空間線量0.098µSv/h

放射能測定結果 2018/03/07
18030702 鳥の巣箱の中身 2018.3.5  東京都八王子市緑町 191g 1000
Cs137 検出 測定値: 1,470.0±290.0 ベクレル/kg
Cs134 検出 測定値: 204.0 ±43.0 ベクレル/kg
Cs合計 1674ベクレル/kg 60分測定              空間線量0.087µSv/h

ハカってワカった話25号 鳥の巣箱の中身、1674Bq/kg

鳥の巣箱の中身

二宮 志郎

シジュウカラの巣、1674Bq/kg

ハカルワカル広場は6年以上測定活動を続けているので、最近の測定で、「まだ一度も測ったことがない」という類の検体は非常にまれになっています。そのまれな測定であった「鳥の巣箱の中身」という検体でCs137:1470Bq/kg, Cs134:204Bq/kgという測定結果が出ました。この高い数値は一体どこから来ているのでしょう。ここでの鳥の巣というのはじっさいにはシジュウカラの巣だったようです。

高い放射能値が出る場所

基本的に周囲に比べて桁違いに高い放射能が測定される可能性は次の2つによります。
1.他所から高い放射能値の物を運びこんできている
2.そこで放射能の濃縮が起こっている
八王子近辺では表土のセシウム汚染値は100Bq/kg程度が普通ですから、表土が紛れ込むようなものであれば数百という数値が出る可能性はあります。しかし、数千レベルに行くというのはそう簡単には起こりえません。
何かシジュウカラの巣に特有のプロセスがあり、上記の1か2が起こっているのでしょう。

シジュウカラの生態

シジュウカラというのは身近な鳥なので、ネットで調べてみると、たくさん資料が出てきます。個人的にいろいろ調査して写真などの資料をたくさん載せてくれているページもあり非常に参考になります。余談ですが、こういうことを調べるのはけっこう楽しくて、私はこの記事を一本書く毎に雑学的知識を一つ増やさせてもらっている気がします。
最も参考になり、放射能のことを考える上で決定的に役に立ったのは、「鳥の巣における生物間の相互作用:シジュウカラ・苔・蛾・蜂の関係」という日本鳥学会誌の論文でした。ネットで検索すればすぐに出てきます。
この論文によると、シジュウカラはその巣のほとんどをコケを集めてきて作り、それも同じ種類のコケだけ集めてくる場合が多いようです。コケの中でもハイゴケが最も多く使われているようです。
巣の材料がほとんどコケであるなら、なるほどと納得がいきます。コケの測定値はいつもかなり高いです。表土の10倍程度の数値が出てきても不思議に感じることはありません。
同じ種類のコケを集めて巣を作る習性があるのなら、たまたまそのコケが放射能が高い場合、そればかり集めてくるので巣の中身が異常に放射能が高くなるということは十分ありえるでしょう。
       

実はコケのこともよく知らない

コケの放射能が高いということは測定した経験から知っているわけですが、たいていはコケと土を一緒にして測っています。コケそのものが高いのか?、コケにこびりついている土が高いのか?、コケに放射能を濃縮する仕組みはあるのか?、などということを真剣に調べたことはありません。
一般的にコケと言っても、菌類と藻類が共生している地衣類といわれるものの中でコケと名がついているものと、コケ植物という菌類とは関係ないコケがあります。
ハイゴケなどはコケ植物に属しています。
菌類が放射能を溜め込んでいることはキノコの話などで多少学んだことがあるので、地衣類も放射能を溜め込むというのは想像がつきます。実際、「コケの放射能が高い」という話では地衣類のコケの場合が多いようです。
では、コケ植物はどうなのか?、シジュウカラはコケ植物以外に地衣類のコケも集めることはあるのか?、今回測定したシジュウカラの巣にあったのはハイゴケのようなコケ植物であったのか?、…。
いろいろと疑問が尽きません。とにかく、鳥さんたちに申し訳ないですから、もっといろいろ調べてみないといけません。

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広場だより25号 巻頭寄稿文 上村英明教授 講演会「核をさまざまに考える」

「核をさまざまに考える」

恵泉女学園大学教授 上村英明

 

みなさん、こんにちは。多摩センターにある恵泉女学園大学の上村と申します。西田さんから、映画会のときにICANの話をしてほしいと言われ、引き受けたのには理由があります。実は「わたしの、終わらない旅」を作られた坂田雅子さんのお母様は恵泉の卒業生です。その縁で大学でも上映したことがあり、その時は坂田監督と私でトークショーをやりました。この映画は、カザフスタン、フランスのラ・アーグなど、普通行かないようなところに出かけ、丁寧に撮られた映像です。ICANの話にもつながります。その意味で今日のテーマは「核をさまざまに考える」としました。

さて、ICANは国際NGOで、昨2017年のノーベル平和賞を受賞し、式典は12月にノルウェーのオスロで開かれました。そのICANの国際運営委員のひとりが川崎哲さんで恵泉の同僚です。国内ではピースボートの共同代表でもあり、核問題が専門です。私も市民外交センターという人権NGOの代表ですが、川崎さんとは分野は違うものの、古くからの友達で、大学の講師もお願いしました。

映画では、アイゼンハワー大統領の、国連における原子力平和利用についての有名な演説が紹介されています。その後、国連は核兵器や核問題の扱いに関する機関やプログラムを作ります。この中心が1963年に国連総会で採択された核拡散防止条約(NPT)とその体制ですが、これは納得のいかない不平等なものです。核保有を米ソ(今はロシア)英仏中の五カ国だけに認め、その他の国にはこれを許しません。他の国は核兵器を保有しないと宣言しなさい。そうすれば、平和利用を国際協力の下に推進してあげますよと迫る構造です。当然、それはおかしい、参加しないという国が出てきます。独立したての南スーダンを除き、NPTの非加盟国は、現在インド、パキスタン、イスラエル、そして出たり入ったりしているのが北朝鮮で、それぞれ自ら核兵器を開発しています。

これに対し、やはりこの体制では世界の核兵器とその恐怖を無くすことは難しいのではという話が出てきたのが1996年頃のことです。むしろ核兵器の保有、実験、製造などを禁止する国際条約を作り、そこにすべての国が平等に入る体制を国連は促進すべきだという考えで、それが核兵器禁止条約の発想です。そして、昨年7月に核兵器禁止条約が国連総会で採択されました。中心になったのは中米のコスタリカなどですが、その背後で環境作りをしたのがまさにICANでした。やや視点が逸れますが、保守的なノルウェーの現政府は、この条約に否定的です。それでも、平和賞を決めるノルウェー・ノーベル委員会は、ICANに平和賞を決めました。これが民主主義です。つまり、政府と意見を異にする国の機関がきちんと判断を下せることも私たちは学びたいと思います。

ICANをもう少し詳しくみてみましょう。実は核兵器廃絶に取り組んできた国際的なNGOとして長年頑張ってきた団体のひとつに「核戦争防止国際医師会議」(IPPNW)があり、自らも1985年にノーベル平和賞を受賞しています。そして、ICANはこの団体を母体として2007年にオーストラリアのメルボルンで設立されました。(現在の本部事務局は、スイス・ジュネーブにあります。)

オーストラリアでIPPNWが活動した理由は、核実験です。オーストラリアには三つの核実験場がありました。西部の沖合のモンテベロ島、南オーストラリア州にあるエミュ実験場、それとマラリンガ実験場です。現在も、環境汚染とヒバクシャは、未解決の大きな問題ですが、これらは自国ではなく宗主国イギリスの核実験によるものでした。マラリンガでは放射能実験というものもやっています。核兵器も原発も、核物質の輸送が欠かせません。輸送するトラックがテロリストに襲われた時はどうするか、トラックが爆破されて放射能が飛び散った時にどう回収するかなどの実験です。そこでも被曝する人たちが出ます。そうした被曝者の救援活動をしていたのがIPPNWオーストラリアで、そのメンバーから核兵器を包括的に廃止する条約制定のプランが出されたのです。

しかし、みなさんの関心の高い原発はオーストラリアには一つしかありません。シドニーの郊外にある医療用アイソトープを生産する原発だけです。ただ、核実験の他に、もう一つの深刻な被曝問題がウラン鉱山です。ウランは鉱山で掘って出てきます。2012年5月にオーストラリア人監督が作った“Out of Site, Out of Mine”という映画は、彼らのウランが世界で何をしているか、とくにオリンピックダムという鉱山を事例に紹介しています。なぜこの時期にこの映画が作られたかというと、そこで採ったウランが東京電力に供給され、2011年3月に福島で爆発して私たちのところに降り注いだからです。オリンピックダム産だったのです。

また、北部準州にあるレンジャー鉱山のウランは、関西電力、九州電力、四国電力に供給されています。ウランの既知埋蔵量(2015年)では23%のオーストラリアが世界一ですが、そこにも被曝者がたくさんいます。オリンピックダムもレンジャーも露天掘りの鉱山で、粉塵が時に空に舞い、川に流れ込みます。因みに、オーストラリアのウラン鉱山と日本が契約したのは1974年です。この年は貧しい地方自治体の活性化に原発を作り、お金をばら撒く電源三法が制定された年ですが、両者をやったのは当時の田中角栄首相です。そして昨今は、安倍晋三首相がよく出かけています。彼の政策には日本の原発の海外輸出があり、オーストラリアのウラン供給をセットにして、売込みを強化したいと考えているからです。

そうした背景の中で、ノーベル平和賞が10月に決まりました。お祝いに何をしてほしいと、川崎さんに尋ねると、授賞式にヒバクシャを呼べたらという話になりました。ICANの活躍は重要ですが、その活躍の土台になったのは、世界各地のヒバクシャの方たちの声です。そこで大学、また平和首長会議の一員である多摩市長に掛け合い、大学と自治体が協力してノーベル平和賞受賞式へのヒバクシャ参加を応援する募金運動を始めました。一ヶ月で550万円が集まり、それを広島、長崎、マーシャル諸島、カザフスタン、マラリンガの方々の旅費・滞在費の他、車椅子のサーローさんの支援費用等にも役立てました。ちょっとだけ自慢話をさせていただくと、オスロの授賞式は本当に素晴らしいものでしたが、ヒバクシャの方々の参加は、私たちの、広くこの多摩地域を中心に募金したお金で実現したのです。現日本政府もこの条約には推測できるように否定的ですが、私たちのこうした動きこそがヒバク国の市民社会の責務なのだと私は考えています。

用語法:
1)核兵器による攻撃でヒバクした方たちを被爆者
2)その他の核関連でヒバクした方たちを被曝者
3)両者が一緒になった場合をヒバクシャ

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