ハカルワカル広場 お茶会: 講演会・映画会・トークセッション・パネル展の
資料保管庫

リンク2021 リンク2020 2019年 リンク2018
日付 種類 講演会・映画会・パネル展の名称 講師 HP チラシ 寄稿文・まとめ 資料
2019.12.07映画会ジャビルカハカルワカル案内チラシ寄稿文
2019.11.10ツアー第4回浜岡原発ツアー(廃炉と産廃施設)ハカルワカル案内チラシ会報31号
2019.10.07講演会日高ピースフェスティバル-放射能測定佐々木晃介資料
2019.10.05講演会廃炉を学ぶ渡辺敦雄案内チラシ会報31号資料
2019.09.07映画会第八の戒律ハカルワカル案内チラシ会報31号  
2019.08.29-09.19ポスター展北ドイツの反原発ポスター展ハカルワカル案内チラシ会報31号
2019.07.06講演会子どもの健やかな成長を願って、原発の危険を訴える運動山本智恵子、斉藤金夫案内チラシ会報30号資料 
2019.06.01総会2019年総会ハカルワカル  まとめ資料 
2019.05.18講演会ゼオライト測定で見えた再浮揚再降下について二宮志郎資料
2019.05.11映画会祝福(いのり)の海ハカルワカル案内チラシ 
2019.04請願安定ヨウ素剤を全市民に配布してください西田照子案内会報29号
2019.04.06寸劇、講演会微量放射能の危険性・1mSvを巡って二宮志郎案内チラシ会報29号
2019.03.02講演会ウラニウムから見る「核問題」上村英明案内チラシ会報29号
2019.03講演会核と原発の歴史二宮志郎 チラシ資料
2019.02.02講演会ヒバクシャ地球一周証言の航海上田紘治案内チラシ会報29号資料
2019.01.12講演会福島の甲状腺がんについて白石草案内チラシ会報28号資料

ハカルワカル広場 お茶会: 講演会・映画会・トークセッション・パネル展の
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リンク2021 リンク2020 リンク2019 2018年
日付 種類 講演会・映画会・パネル展の名称 講師 HP チラシ 寄稿文・まとめ 資料
2018.12.02朗読劇線量計が鳴る中村敦夫案内チラシ会報28号
2018.11.10講演会福島原発事故を風化させないために山田真  会報27号
2018.11.10配布会安定ヨウ素剤配布会ハカルワカル案内チラシ会報27号
2018.10.06講演会原発の町を追われて堀切さとみ案内チラシ会報27号
2018.09.01講演会原発輸出を考える鵜飼暁案内  
2018.06.16-17ツアー福島ツアーハカルワカル案内 会報26号
2018.04.07講演会浜岡原発の地元で声を上げて伊藤実案内チラシ 
2018.03.07測定シジュウカラの巣ハカルワカル測定資料
2018.03.03講演会核をさまざまに考える上村英明案内会報25号
2018.03.03映画会わたしの、終わらない旅ハカルワカル案内チラシ 
2018.02.16寄稿浜岡原発現地から伊藤実  会報24号資料
2018.02.03総会2018年総会ハカルワカル案内 会報24号資料
2018.01.13ワークショップ持続可能な生活~ボランティアを通して伝えたいこと小林恵美案内  

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日付 種類 講演会・映画会・パネル展の名称 講師 HP チラシ 寄稿文・まとめ 資料 映像
2020.11.07講演会原発の断りかた柴原洋一案内チラシ会報35号
2020.11.01プロジェクト10年目の土壌測定プロジェクトハカルワカル案内チラシ
2020.10.03講演会汚染林を燃やすバイオマス発電の問題点青木一政案内チラシ会報34号資料 
2020.09.05講演会トリチウム汚染水の海洋放出について渡辺敦雄案内 まとめ資料 
2020.08.08トーク太陽が落ちた日 トークセッションアヤ・ドメーニグ他FB新聞会報34号資料 
2020.08.08解説核と原発の歴史二宮志郎まとめ資料
2020.07.04講演会原発は地球温暖化防止に役立たない二宮志郎案内 まとめ資料動画
2020.06.06総会2020年総会ハカルワカル案内 会報33号報告 
2020.05.09講演会ダイオキシンの危険性渡辺敦雄案内チラシ会報33号資料動画
2020.02.01講演会ビキニ事件とは何か?-第五福竜丸事件を越えて石井暁子案内 会報32号資料 
2020.02.15-29パネル展ビキニ事件(第五福竜丸事件)パネル展ハカルワカル案内チラシ 資料 
2020.01.19見学会第五福竜丸展示館へ行こう!ハカルワカル案内チラシ会報32号資料 

核と右肩上がり時代の終焉

ボランティア 二宮 志郎

右肩上がりの時代

 新型コロナウィルスがもたらした事態は何だったのか。そのことは多くの学者に予測されていたのに、私達は何故無防備にそれがやってくるのにまかせていたのか。無防備にならざるを得なかった理由はどこにあるのか。
 ある学者が話の中(注)で上のグラフを出してきて、原因は地球環境に対して人類が与えている影響があらゆるところで急激に起こっていることを上げていた。
 (注):Peter Daszac, The ecology of pandemic era
 野生動物と人間活動の境界を急激に変化させることが、野生動物の中にしかいなかったウィルスを人間界にもたらすことにつながっているらしい。そしてその頻度は確実に増えてきているというのだから、第二、第三のコロナ騒動も覚悟しておく必要がある。
 グラフの元データはwww.igbp.netにあり、そこからダウンロードすれば一つ一つのグラフを拡大してみることもできる。たくさんあるグラフの横軸は始まりが1750年、赤い字で書いてある点が1950年、右端が2010年である。
 左半分の社会経済的傾向は全て急激な右肩上がりのグラフになっているが、その急激な上昇が始まるのは赤い印のちょっと左からというのが多い。それは核の時代と同期しているように見える。

人新世

 この人類が地球環境に大きな影響を与えることになる新しい地質年代として「人新世(アントロポセン)」という名前が提案されている。そして、その始まりの定義としては「1945年のトリニティ実験(広島・長崎の前にアメリカがニューメキシコで行った人類最初の核実験)」とする説が有力らしい。
 この人新世なるものの初期の急激な右肩上がりがいつまでも続くなどということはありえない。
 ただ私達の人生は、あり得ない状況の中にいる異常をあたりまえと勘違いできるくらいに十分短い。今生きている人達の大半はトリニティ以後に生まれていて、人新世の中で育っている。冒頭で上げた「何故無防備にコロナの事態を迎えてしまったのか?」という問いへの答もここにあるのではないだろうか。
 各グラフの赤い印の1950年と右端の2010年の中間、1980年の時、私はまだ学生だった。あのころを思い出してみると、「右肩上がりをいつまでも続けることはできない」という警告はすでにあちこちであった。しかし世界の回答は「まだまだ行ける」ということだったのか、グローバリズムによる市場の拡大は右肩上がりの時代を2000年を越えて引きずっていった。

 原発の推進もその回答の一つだった。右肩上がりを支えるエネルギー源ということだったが、原発の場合はスリーマイル、チェルノブイリの事故を経験して1990年には右肩上がりは終わっている。右肩上がりが続いていたらフクシマの経験は一回ですんでなかったかもしれない。

オーバーシュートの悲惨

 コップに水をどんどん入れていくと、表面張力で縁から盛り上がっていき、ある程度まではコップの容量を越えるところまで水を入れることができる。オーバーシュートとは、この容量を越えた分の水だと考えればいい。盛り上がった水の量が多いと表面張力で支えきれなくなって溢れ出る時の量も多い。

 上のグラフで赤線は激しいオーバーシュートが起こった例、青線は小さなオーバーシュートが起こった例を示している。激しいオーバーシュートが起こるとその反動が大きく、グラフの赤線は劇的な減少を伴っている。この劇的な減少は場合によっては悲惨な状況を作る。コップの水の場合水がこぼれ落ちるだけだが、人口だったら大勢の人が死ぬことを意味する。おそらく社会的経済的立場の弱い人から先に悲惨な死に方をすることになる。
 赤線と青線の違いは、容量オーバーにどれだけ早く気がついて右肩上がりを止めるかにかかっている。

いかに終焉させるか

 新しいウィルスによる疫病、地球温暖化、放射能汚染、生物種の絶滅、こういった様々な問題は、右肩上がりの時代が終わるとともに自然と終息するだろう。その時に人類も終焉していれば元も子もない。もし人類が生き残れたとしても、とてつもなくたくさんの悲惨な死の後に生き残ったのであればあまりに悲しい。
 新型コロナウィルスは「人類はもうオーバーシュートのところまで来てしまった」という事の警告の一つだったのだろう。上のグラフの緑の丸の領域に来ているということだ。これから先、赤線をたどるか、青線をたどるか、それは人類の行動いかんによる。
過去の実績を考えれば、この先人類が考え直して行動を改めていくなどということはできそうもない気がする。しかし、行動を改めていくことは、様々な矛盾を抱えながらでも少しずつ始まっている様にも見える。とにかく、オーバーシュートを小さくすることにつながる努力はどんなに小さなことであろうと意味があると思いたい。
 起こっている事実から目をそらさないようにすることは第一歩であり、それは誰にでもできる。冒頭に上げたグラフや、様々なデータを最新情報で更新しながら、何が起こっているのかを意識の中に置いていきたい。「ハカルワカル」とは正にそういうことである。

⇒ハカルワカル広場だよりの主要記事のインデックスは、ここにあります。

「世界の稼働原子炉を減らさずしては」

二宮 志郎

 いつかその日がやってくる、やってこなくては困る、と思っている日があります。「もう放射能は測らなくてもいい」という、そういう日です。残念ながらその日はまだです、しかし「測ろうと思っても測れない」という日が先に来てしまいました。ご存知のように、新型コロナウィルスの影響でハカルワカル広場の測定活動は3,4,5月と完全に止まってしまいました。6月になって午前中限定の形で再開しましたが、まだ以前の様な測定活動に戻れる日は見えていません。
 というわけで、今回は測定データがないところでの「ハカってワカった話」になります。過去のデータを参考にしながら、「もう放射能は測らなくてもいい」日は来るのだろうか、それを少し考えてみたいと思います。

最近4年間の測定

 4,5,6月という季節は、筍や山菜の測定もあり、1年のうちでは比較的測定活動は活発になる時期でした。それも最近4年くらいでは、放射能が検出されることはほとんどなくなり、土壌やキノコの測定でまだ福島事故の影響が消えてないこと、食品類の測定では不検出になること、そういうことを確認する意味での測定が主になってきていました。
 上記のグラフが示しているのは、4,5,6月の測定数の推移です。粘り強く測定活動を続けてくれている人がいますが、微減傾向にあることはたしかです。不検出の結果が出るのがほぼ確実になってくれば、測定が減るのは自然の流れです。

事故さえなければ

 放射能放出を心配しなければいけないような事故が起こらなければ、このまま微減傾向が続きそうです。しかし、そういう事故が起こらない日々が続くことはどこまで期待していいのでしょうか。
 原子炉が事故を起こす確率を見積もるのに、X炉年あたりに1回というような表記が出てきます。この炉年という単位は、いくつの原子炉を何年動かしたかということです。1つの原子炉を10年動かした場合、あるいは10の原子炉を1年動かした場合、どちらもそれは10炉年ということになります。
 世界規模では、商用炉に限れば約15,000炉年の中で、スリーマイル、チェルノブイリ、フクシマと大きな事故が3回起こっていて、約5,000炉年に1回という数字が出てきます。日本に限れば、約1,500炉年の運転でフクシマ事故を起こしているので、1,500炉年に1回という数字が出てきます。
 しかし、これらの数字はいかにも心もとないです。100万炉年くらいの経験に基づく数字ならもう少し頼りにしていいと思うのですが、世界も日本もあまりに経験値が低いわけで、出てきている数字はそれほど信頼できる数字とは言えません。
 とにかく、原子炉をたくさん動かすと炉年数は増えます。世界では今現在も400を越える炉が動いているので、10年続くと4000炉年を越えていきます。その数を1/10の40に減らすと4000炉年に達するのには100年かかります。

世界の稼働原子炉を減らさずしては、

 「もう放射能は測らなくてもいい」という日が確実に来ることを想定できません。放射能は国境を越え、海を越え飛んでくることを考えると、400を越える稼働中の原子炉は、「運が良ければ」という前置きなしに、その日を期待できなくします。
 仮に運がものすごくよかったとします。そうすれば事故は起こらなくて、撒き散らされる死の灰はないでしょう。しかし、死の灰は使用済み燃料プールか、キャニスターの中か、どこかそういうところで、もう一つ別の運を期待して保管されていることになります。もしそこで運が悪いことになると、、、やっぱり放射能測定が必要になってしまい、その日は遠のきます。
 運にたよらないようにするには、炉年数を小さくすることです。稼働中原子炉をゼロにすれば、100年経とうと、1000年経とうと、ゼロをかけるのですから0炉年です。その時の事故に会う可能性はゼロで、それだけは確かです。

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ハカってワカった話 原木しいたけ4検体

二宮 志郎

 世の中コロナウィルス騒動で大変ですが、コロナウィルスに感染しているかどうかの検査にはPCR法というのが使われています。私は全然知らなかったのですが、今は高校の生物の授業でも教えている、基本的なバイオテクノロジーの一つのようです。「特定のDNAだけ増殖させる」ということができるのですから、バイオの世界は大したものです。

 しかし、バイオの世界でも誤判定というのはつきまとうようで、「偽陽性」「偽陰性」という誤った結果が一定程度出てしまうのは避けがたいようです。それでも「検査して判定を知る」ことができることのメリットは絶大で、100%の正確さでなくても客観的事実に近づければ、有効な対策も打ちやすくなるということでしょう。ハカルワカルの測定にも共通するものがあるように思えます。

原木しいたけ4検体

測定番号 検体産地 Cs137 (Bq/kg)
19121702 東京都、日の出町 10.9
20020402 東京都、八王子産 37.3
20022001 秋田県、購入八王子 誤検出(11.7)
20022101 秋田県、購入八王子 不検出
(上記を洗浄後再測)

 微妙なところで検出、不検出に分かれている結果です。秋田県の検体のスペクトルを以下に示します。

 青線のスペクトルを見れば明らかにウラン系列の自然放射能による誤検出であることがわかりますが、洗浄して再測定した結果の赤線はほとんどバックグランドと重なっていますから、自然放射能の原因は付着物にあったことがわかります。

八王子産は検出

 八王子産は37.3Bq/kgとやや大きな数値が出ています。誤差範囲の13Bq/kgを考慮に入れてもセシウム137による汚染が少なからずあるようです。

 この検体と日の出町産の検体のスペクトルの660keV付近を拡大したものを以下に示します。

 八王子産が赤線ですが、660の線のところまで山が広がっているところから見ても、自然放射能の影響だけではなくCs137が存在していることを示しています。青線の日の出町産はCs137の存在は微妙です。誤差範囲は4.5Bq/kgで限界値ギリギリのところでの検出になっています。

 林野庁のホームページに行くと、「きのこや山菜の出荷制限等の状況について」という情報があり、まだまだ多くの市町村で原木しいたけに対して出荷制限がかかっていることがわかります。福島原発事故から9年、放射能はまだまだ人を苦しめ続けているという現実がそこにあります。

 ハカルワカルの測定で原木シイタケから放射能の検出がなくなる時が来たら、少し喜んでいいのかもしれません。もちろん、目を背けることでなくなるのでなく、測り続けることで「本当になくなった」ことを知るのでないと喜べません。

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ビキニ事件とは何か?-第五福竜丸事件を越えて

石井 暁子

  ビキニ事件というと「アメリカの水爆実験により第五福竜丸が被爆した事件」と思って終わりにしていないだろうか。教科書でもそう習うことが多いのだが、実際にはどういう事件だったのか、改めて調べてみた。

 まず、なぜマーシャル諸島ビキニ環礁(核実験はエニウェトク環礁でも行われた)だったのか? 1880年代以降、ドイツはビスマルク諸島、カロリン、マリアナ、マーシャル、パラオ各諸島を獲得していた。そして第一次世界大戦の結果、ヴェルサイユ条約により日本が赤道より北にある旧ドイツ領南洋諸島の委任統治権を得た。このため、マーシャル諸島は第二次世界大戦中、日米の戦争に巻き込まれ、戦争被害を受けた。1944年の戦いからアメリカの占領下に置かれ(戦後アメリカの信託統治領となる)、いくつかの条件に当てはまったため核実験場にされることとなり、ビキニ環礁の住民はなかば強制的に移住させられた。

 マーシャル諸島におけるアメリカの核実験は、広島、長崎の翌年、1946年7月1日から始まり、1958年まで合計67回も行われた。1952年のアイビー作戦から、核爆発エネルギーの規模が桁違い(キロトン級から1000倍のメガトン級)に大きくなり、第五福竜丸が被ばくした1954年のキャッスル作戦第1回目ブラボー実験にいたっては、15メガトンという最大級の爆発力であった。これは広島原爆の約1000倍の大きさにあたり、キノコ雲の高さは30kmを超え、成層圏にまで達した。このため、キャッスル作戦による放射性降下物は世界中にまわり、日本やアメリカ、アフリカ大陸にも降った。このことは、1984年にアメリカが機密解除した公文書にまとめられており、2010年に日本の研究者がその全文を米エネルギー省ホームページで発見してから研究がすすめられている。それによると、死の灰はビキニ環礁から東西に長い楕円状に広がり、その総量は22.73メガキュリーと算出された。アメリカ南西部が日本の約5倍も死の灰を受けたとの記述もあり、アメリカ自身がビキニ水爆実験の被災国であったことがわかる。

 当時の状況を見てみよう。3月1日に始まったキャッスル作戦(〜5/14)では、アメリカの予想以上に汚染海域が広がり、3月19日にはアメリカの指定する危険区域が約8倍に拡大されたが、そのことを知らずに操業していた漁船も多かった。日本の漁船では、第五福竜丸を含む5隻が3〜5シーベルト/時相当の場所にいた。第五福竜丸が水爆実験を目撃し、放射能症に苦しみながら一路日本に向かい、3月14日に焼津に帰港したことはよく知られているが、そのことが読売新聞にスクープされ、日本中が大騒ぎになっていた間も、多くの漁船が操業を続け、マーシャル諸島での核実験が終わる1958年までに、何度も被災していたということはあまり知られていない。被災した船はのべ1000隻を超えるという。

 水産庁と厚生省(当時)は、初めはマグロの水揚げを5港に指定して検査を指示し、汚染魚の廃棄を指導したり、調査船「俊鶻丸」に放射能調査をさせたりしたが、日米政府間の政治的な取引が進むにつれ次第に消極的になり、まだ船からも魚からも汚染が確認されていた1954年12月に、マグロの放射能検査と廃棄を年内で中止することを決定してしまった。これにより、汚染マグロは検査なしで流通し、第五福竜丸以外の被災した漁船員の調査も行われなくなってしまった。翌年1月、日米交換文書により、アメリカが慰謝料200万ドル(約7億2000万円)を払い政治決着とされた。その慰謝料の大部分(63%)は「魚価低落によるまぐろ生産者の損害」に当てられた。漁船員の「治療費」「慰謝料および傷病手当」は合わせても11%だったが、そのほとんどが第五福竜丸の乗組員に当てられたため、ねたみや羨望の的となり、漁船員が分断され声を上げ辛い状況が作られたのではないだろうか。

 被ばくした船員たちはその後どうなったのか。映画「放射線を浴びたX年後」で元船員を訪ね、話を聞いていた山下正寿さんと高校生たちのおかげで、事件から30年以上たってようやく元船員や家族の証言を知ることができるようになった。当時のマグロ漁は過酷で、操業中、普段は海水風呂、雨が降ると裸で飛び出し、雨水を洗濯物や洗い物に使っていたという。また、マグロを刺身にして内臓なども食べていた。死の灰が降って来た時、擦るとシミのようになったが風呂に入れなかったので洗い流すこともできなかったという証言もある。操業中から具合が悪くなり、パラオの病院に緊急入院したがそのまま亡くなった若い船員もいたという。操業中と帰路の2回、核実験の死の灰をかぶった漁船では、被ばくの2年後ごろから突発的に病気になったり急死する船員が増えたという。詳しくは山下正寿さんの著書『核の海の証言』を読んでほしい。

 また沖縄は、当時はアメリカの占領下で、水爆実験のことはあまり知らされていなかった。米軍の放射能検査を受けたマグロ漁船もあったが、結果は知らされず魚の廃棄命令もなかった。健康被害を受けていても水爆実験との関係を知らず、健康管理も不十分だった。

 マーシャル諸島の中でも最も酷かったロンゲラップ島は爆心地から180kmのところ(第五福竜丸は160kmの地点で被ばく)にあり、大人も子どもも、いつも通りに生活しながら水爆実験の被害に遭った。被災後、島民は米軍の基地に隔離され、さまざまな検査を受けさせられ生態学的なデータをとられるなど、モルモットのように扱われた。

 ほかにも日本の貨物船、客船、捕鯨船、韓国、台湾、フィリピンのマグロ漁船なども被ばくしている。1954年5月16日〜28日にかけては、日本で放射能雨が降り、降雨1リットル当たり、京都86,000カウント、静岡19,500カウント、東京10,000カウントと報道され大問題になった。また、ほとんど無防備で核実験に参加させられたアメリカ兵士も核実験の被害者といえる。

 このように国や立場を超えて広がるビキニ事件の被害を、より広くさまざまな面から捉え直してその実態を可視化することは、核兵器使用が世界に及ぼす影響を明らかにし、核兵器廃絶を実現するための力となるであろう。

典:『核の海の証言』

【参考資料】『核の海の証言―ビキニ事件は終わらない』山下正寿著 新日本出版社2012.9.25/「視えない核被害―マーシャル諸島米核実験被害の実態を踏まえて」早稲田大学大学院アジア太平洋研究科国際関係学専攻 竹峰誠一郎 2011年度博士学位申請論文/『ビキニ核被災ノート-隠された60年の真実を追う』「ビキニ被災ノート」編集委員会[編]2017.3.1発行

【お茶会参加者感想】

  • 第五福竜丸のことを知っている知人は沢山いるが、ビキニ事件としてとらえている人は本当に少ない。人として扱われなかった多くの人々の声を掘り起こし、真実を知る努力をしたい。
  • 人類すべてに関わる悪が、歴史上、ヒロシマ、ナガサキ‥‥ビキニと脈々とつながり絶えることがない。何故?過去を隠し、問題とせず、なかったことにするから。
  • あらためて戦後の核の歴史を学ぶことができました。いまだに私たちは、未解決のまま今日を過ごしているわけで、一日も早い核廃絶の実現のために、ささやかな努力をしたいと思いました。
  • 日本の核、原発の歴史に学ぶ必要、それがとても大切と改めて痛感しました。世界の流れの中で、どうもいつも後ろであいまいな日本をもっとハッキリ知らなくてはならない!「知っているつもり」はとても危険。
  • 第五福竜丸展示館の写真展示の乗組員1938年生まれの人などみな若い!そしてつくづく思った。私達は被ばく者、同時代人‥‥。
  • この事件は過去ではなく、これからの反原発、反放射能運動の重要な資料になると思います。
  • キャッスルとか、ブラボーとか、ヤンキーとか、このネイミングにアメリカの核実験や核兵器に対する姿勢が表れていて、言葉にならない怒りを感じます。一方、日本が韓国に対して被ばく船を売ったということに、あいた口がふさがりません。
  • アメリカの非道さ、それに迎合してしまった日本政府にも、あらためて憤りを覚えました。現在もほとんど変わりませんね‥。一歩でも二歩でも知って、行動していくしかないですね。
  • 「X年後」で解っていたつもりの事件でしたが、その裏側にはまだまだ知らされていないことがたくさんあるとわかりました。アメリカの為政者の、島の人々への差別感が大きく存在していると思う。

⇒ ハカルワカル広場だよりの主要記事のインデックスはここにあります。

ハカルワカル広場だより 主要記事 巻頭寄稿文、ハカってワカった話

ハカルワカル広場だよりの主要記事 巻頭寄稿文とハカってワカった話を抜粋しました。
号番号をクリックするとハカルワカル広場だよりpdfが表示され、記事の名前をクリックすると記事が表示されます。

発行日 巻頭寄稿文 ハカってワカった話
34 2020.11.20 2020年8月8日お茶会 映画『太陽が落ちた日』トークセッションまとめ 掃除機のゴミ、過去データを振り返る
33 2020.7.20 核と右肩上がり時代の終焉 世界の稼働原子炉を減らさずしては
32 2020.3.20 ビキニ事件とは何か? 原木しいたけ4検体
31 2019.11.25 廃炉を考える まぎらわしい誤検出
30 2019.8.20 地域に根差した草の根活動・ 先駆的お二人 広島・長崎から74年
29 2019.05.20 ヒバクシャ地球一周 証言の航海に参加 3ヶ月間の測定結果、館町Eゼオライト測定値トップ
28 2019.02.20 福島の子どもの甲状腺がんについて 2018年末までの測定結果まとめから
27 2018.11.20 福島原発事故を風化させないために 鶏糞からセシウム137
26 2018.08.20 福島の今を知ろう!2018福島視察ツアー シジュウカラ巣の放射能はやはりコケから
25 2018.05.20 上村英明教授 講演会「核をさまざまに考える」 鳥の巣箱の中身、1674Bq/kg
24 2018.02.16 浜岡原発現地から 2017年データのまとめ、検出値年間トップの歴史
23 2017.11.16 おしどりマコ&ケンさん講演会講演録 木くずの汚染はどの程度?
22 2017.08.30 関東も汚染現地 不検出になってくれない原木椎茸
21 2017.05.18 森とキノコと放射能 19000Bq/kg の衝撃
20 2017.02.23 たらちね見学会で思ったこと 昨年の一ヶ月あたりの測定検体数
19 2016.11.17 福島原発事故による水産物の放射能汚染 ゼオライトの測定結果を見る
18 2016.08.10 2016年5月16日 ちくりん舎訪問記 岩手産原木椎茸、コシアブラ
17 2016.05.20 福島原発事故の実相について 5年間、原木椎茸測定記録
16 2016.02.20 映画『核分裂過程』 2015年のまとめデータから
15 2015.11.19 自然エネルギーを「選び取る」社会へ 減っているのかセシウム土壌汚染
14 2015.08.29 金八デモはいま 微量放射能漏れ監視プロジェクト
13 2015.05.20 浜岡原発見学ツアーの感想 キルティングジャケットの測定結果
12 2015.02.20 浜岡原発のある町の現状 過去3年分のデータの振り返り
11 2014.11.15 映画「シロウオ~原発立地を断念させた町」 2014年9月24日~11月7日測定結果 日野の栗
10 2014.08.28 ジャビルカの背景と現在 驚きのコシアブラ、ラドンガスについて
9 2014.05.15 放射能ってなんだろう? 編集裏ばなし 今年の筍は?、桜の花びら、定点観測の勧め
8 2014.02.15 2013年度のハカルワカル広場の活動 微量がしぶとく残る柑橘類、検出された食品
7 2013.11.14 ハカルワカル映画会を始めたきっかけ 鉛遮蔽の強化、微量測定の世界
6 2013.08.01 ハカってワカろう、親子放射能測定 驚くような測定データはもうない、室内のほこり
5 2013.05.11 測定室の活動報告(2013年2月~4月) 引き続き測定依頼減少傾向、筍、土壌汚染、新茶
4 2013.02.25 測定室の活動報告(2012年11月~2013年2月) 微量測定値が増える、柑橘類の汚染、八王子の穀類
3 2012.11.05 測定室の活動報告(2012年7月~10月) 食品汚染はかなり減少、米ぬか要注意、梅酒微量
2 2012.08.04 測定室の活動報告(2012年4月~6月) たけのこ、新茶、土、誤検出
1 2012.05.11 ハカルワカル広場測定開始(2012年1月29日) 測定限界値、測定結果、ホームページでデータ公開

12月定例お茶会 「ジャビルカ」上映会のご案内

師走の12月となりました。12月7日(土)定例お茶会のご案内です。
12月の定例お茶会は、測定振り返りの後、浜岡原発見学ツアー報告&映画「ジャビルカ」上映会となっております。この映画は 2014年6月21日(土) 第6回映画会で上映された映画で、 アボリジニのウラン鉱山開発に抵抗する抵抗運動、オーストラリア環境団体も応援しての運動で、採掘が止まるすばらしい映画です。 京都精華大学の細川 弘明 さんがその映画の時来てくださり「その後」も話してくださいました。

しかしジャビルカ鉱山は止まっても、田中角栄首相のトップセールスにより北部のレンジャー鉱山、南部のオリンピックダム鉱山は開発され、日本の原発へウランを輸出し、 2011年3月11日に福島第一原発事故によりオリンピックダム採掘のウラン核燃料がメルトダウンし最悪の大規模な放射能汚染が起きてしまいました。

とき: 12月7日(土)10時~12時

ところ:ハカルワカル広場

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