「世界の稼働原子炉を減らさずしては」

二宮 志郎

 いつかその日がやってくる、やってこなくては困る、と思っている日があります。「もう放射能は測らなくてもいい」という、そういう日です。残念ながらその日はまだです、しかし「測ろうと思っても測れない」という日が先に来てしまいました。ご存知のように、新型コロナウィルスの影響でハカルワカル広場の測定活動は3,4,5月と完全に止まってしまいました。6月になって午前中限定の形で再開しましたが、まだ以前の様な測定活動に戻れる日は見えていません。
 というわけで、今回は測定データがないところでの「ハカってワカった話」になります。過去のデータを参考にしながら、「もう放射能は測らなくてもいい」日は来るのだろうか、それを少し考えてみたいと思います。

最近4年間の測定

 4,5,6月という季節は、筍や山菜の測定もあり、1年のうちでは比較的測定活動は活発になる時期でした。それも最近4年くらいでは、放射能が検出されることはほとんどなくなり、土壌やキノコの測定でまだ福島事故の影響が消えてないこと、食品類の測定では不検出になること、そういうことを確認する意味での測定が主になってきていました。
 上記のグラフが示しているのは、4,5,6月の測定数の推移です。粘り強く測定活動を続けてくれている人がいますが、微減傾向にあることはたしかです。不検出の結果が出るのがほぼ確実になってくれば、測定が減るのは自然の流れです。

事故さえなければ

 放射能放出を心配しなければいけないような事故が起こらなければ、このまま微減傾向が続きそうです。しかし、そういう事故が起こらない日々が続くことはどこまで期待していいのでしょうか。
 原子炉が事故を起こす確率を見積もるのに、X炉年あたりに1回というような表記が出てきます。この炉年という単位は、いくつの原子炉を何年動かしたかということです。1つの原子炉を10年動かした場合、あるいは10の原子炉を1年動かした場合、どちらもそれは10炉年ということになります。
 世界規模では、商用炉に限れば約15,000炉年の中で、スリーマイル、チェルノブイリ、フクシマと大きな事故が3回起こっていて、約5,000炉年に1回という数字が出てきます。日本に限れば、約1,500炉年の運転でフクシマ事故を起こしているので、1,500炉年に1回という数字が出てきます。
 しかし、これらの数字はいかにも心もとないです。100万炉年くらいの経験に基づく数字ならもう少し頼りにしていいと思うのですが、世界も日本もあまりに経験値が低いわけで、出てきている数字はそれほど信頼できる数字とは言えません。
 とにかく、原子炉をたくさん動かすと炉年数は増えます。世界では今現在も400を越える炉が動いているので、10年続くと4000炉年を越えていきます。その数を1/10の40に減らすと4000炉年に達するのには100年かかります。

世界の稼働原子炉を減らさずしては、

 「もう放射能は測らなくてもいい」という日が確実に来ることを想定できません。放射能は国境を越え、海を越え飛んでくることを考えると、400を越える稼働中の原子炉は、「運が良ければ」という前置きなしに、その日を期待できなくします。
 仮に運がものすごくよかったとします。そうすれば事故は起こらなくて、撒き散らされる死の灰はないでしょう。しかし、死の灰は使用済み燃料プールか、キャニスターの中か、どこかそういうところで、もう一つ別の運を期待して保管されていることになります。もしそこで運が悪いことになると、、、やっぱり放射能測定が必要になってしまい、その日は遠のきます。
 運にたよらないようにするには、炉年数を小さくすることです。稼働中原子炉をゼロにすれば、100年経とうと、1000年経とうと、ゼロをかけるのですから0炉年です。その時の事故に会う可能性はゼロで、それだけは確かです。

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