8月8日、ハカルワカル広場ではオンラインで映画「太陽が落ちた日」のトークセッションを行いました。3月1日ビキニデーに開催するはずだった映画会は中止となりましたが、この映画をたくさんの人に観てほしいとの思いから、個々に観た上でトークセッションに参加して頂くという初の試みでした。スイス在住のアヤ・ドメーニグ監督にも参加していただき製作者のお話を聞くことができました。
【映画「太陽が落ちた日」THE DAY THE SUN FELL】
原爆投下時に広島赤十字病院の医師だった監督の祖父を出発点に、当時の看護師や肥田舜太郎医師の話を聞き、「原爆のその後を生きる姿」を見つめた作品。撮影期間中に福島原発事故が起こり、内部被ばくが現在の問題としてクローズアップされることに。亡き夫の思い出を語る監督の祖母や、福島からの避難者を自宅に受け入れるなど、できることをこつこつと積み上げて原爆・原発反対を貫く内田さんなど、魅力的な人物が登場する。
【映画についての質疑応答】
K.S.さん)スイスではこの映画を上映しましたか?
アヤ監督)はい。ちょうど今、原爆から75年目をきっかけとして、スイスとドイツのテレビで放送されました。5年前に映画が完成した時は、ローカル映画祭など世界中で上映されました。
E.S.さん)何度観ても素晴らしいのは、アヤさんがおばあさまのことを大切に思っていて、それが私たちの心情に響くのだと思います。製作時間はどれくらいですか?
アヤ監督)2010年から2013年の4年ぐらい。祖母は最後の頃2013年5月にはまだ元気でしたが、その年の10月に亡くなりました。
K.K.さん)外国の方の感想で印象に残るものがあれば教えて下さい。
アヤ監督)スイスで上映した時に、70歳以上と思われるアメリカ人が私の方に来て、歴史上の知らなかったことを知ったとショックを受けていました。ずっとアメリカに住んでいたので、原爆投下後に「原爆について話してはいけない」とか、「医者が内部被曝について誰にも教えてはいけない」と言われていた7年間の厳しい時期があったことを全く知らなかったのです。スイス人などは、映画に出てくる人物の中でも内田さんが大好きで、内田さんのキャラクターは世界中で通じると思います。
K.H.さん)私も内田さんが好きですが、その内田さんの家に福島の親子が避難して来ていて、当時、避難したいと言うと親からも頭が変になったと言われて辛かった、というのがリアルでした。あれはいつ頃のことですか。
アヤ監督)彼女は、原発事故直後まず秋田に避難して、広島に来たのは2012年の夏。内田さんは、ほかの人もホームステイで受け入れていました。
S.I.さん)私の百歳近い祖母、義理の父も子供の頃に戦争を体験しているのですが、なかなかそのことを話しづらいです。アヤさんはおばあさまに普段からそういう話を聞いていたのですか?
アヤ監督)祖母は私にあまりその話をしませんでした。祖父が生きていた間は原爆について聞いていたけれど。家族の中で、原爆はあまりテーマになっていませんでした。
S.I.さん)おじいさまは嫌な顔をせずに話してくれていたのですか?
アヤ監督)あまり話しませんでした。自分で原爆を直接体験していないからと言っていました。祖父が亡くなった時私は19歳でしたから、聞いた記憶はありますが深くは聞きませんでした。
次にトークセッションに移りました。はじめに二宮さんが、核と原発の歴史がひとめでわかる年表をスライド上映しながら「広島・長崎の前にニューメキシコで始まった核実験の歴史があり、それは福島原発事故にもつながり、今も続いている」と解説し、その後、4人のメインスピーカーがそれぞれの思いを語りました。
【トークセッション「広島・ビキニ・福島を考える」】
相澤さん)私の母も入市被ばく者でしたが、亡くなるまで被ばく者手帳を申請せず、原爆のことをほとんど話さなかった。体験していないと本当の意味ではわからないと思っていたのかもしれませんが、もう少し話してほしかった。聞き手を信頼してくれているから肥田先生や内田さんは体験を話してくれるのだと思いました。私はハカルワカル広場に関わるようになって、ビキニ実験などを詳しく知るようになり、原爆だけではなく、いろいろな形で世界中の人が被ばくしていることを知りました。世界中の人がみんなヒバクシャだという観点に立って核廃絶を主張していくことが大切なのではないかと思います。
鵜飼さん)僕の母は諫早出身だったので、子供の頃よく平和公園に行っていた。原爆のことを歴史的な事実として知ってはいたが、核の平和利用に疑いさえ持たなかった。福島の原発事故があり、ハカルワカル広場で活動するようになって原爆と原発がつながった。グローバルヒバクシャという言葉があって、放射能の被害は広島、長崎だけでなく世界中にある。アメリカ人も被ばくしているし、マーシャル諸島の水爆実験の被害者もいまだに苦しんでいる。核兵器を使うこと自体が悪魔的で、人間として許されないと日本人が発信していくことが大事だと感じた。肥田さん、内田さんのように諦めずに語り続けていくことが未来につながるという希望をもった。
上田さん)被ばくの実相を知ることが平和への一番の近道。私は3歳被ばくなので記憶はない。まず、原爆も原発も、核物質は絶対に人類とは共存できない。使用済み核燃料棒、プルトニウムをどうするのか。もう一つ強調したいのは、原爆投下は人体実験だということ。当時のアメリカ軍では、原爆投下は必要ないというのが常識だった。全国で200カ所も空襲に遭い、制空権がない日本が降伏するのはあたりまえだった。それでもポツダム会談の前日に投下した。2017年7月7日、国連で核兵器禁止条約が採択された。現在(8月8日時点)、賛同署名した国が82カ国、批准した国は43カ国です*(注)。あと7カ国が批准すれば国際条約となり、核兵器が悪魔のレッテルを貼られ、核抑止論が否定される。いま私たちは画期的な時期に生きており、大いに希望がある。被爆者の平均年齢は83歳。2016年春に始めた被爆者国際署名は国連に1184万筆提出しました。これが核兵器をなくす大きな原動力になると確信しています。
西田さん)私には内田さんが一番魅力的で、強い印象を受けました。内田さんは自分の原爆症を直すのに自然の力を使って、汗をかいて直すという方法を見つけた。ドクダミを作って福島に送るとか、自主避難の親子を自宅に泊めて面倒をみるとか、自分にできるささやかなことを一生懸命して、自分の生活の中で原爆反対を訴えている。この映画で私たちの活動についても教えてもらった気がする。ハカルワカル広場は、食品や土壌を測定するほか、このようなイベントを開き、放射能の危険を多くの人に知ってもらう活動をしている。そういう、たとえ小さなことでも、みんなが意識をもってやることが、原発や核の廃絶につながっていくと感じました。
【参加者からの意見】
K.H.さん)数日前の朝日新聞で、今のアメリカの若者の約75%が、戦争を終わらせるのに原爆を使う必要はなかったと思っていると知り、昔からの洗脳がだいぶ解けてきていると希望を感じました。
上田さん)私がアメリカでヒバクシャとして話す時は、日本の加害責任にも触れ、謝罪から入ります。しかし原爆を使ってもいいとは言えないでしょ、そのことを話してもいいですか?と聞いてから話すと、どこでも共感してハグしてくれます。ここに人間の素晴らしさがあると思います。
K.S.さん)アメリカの人たちの意識が変わってきているのはすごく嬉しいのですが、その反面、日本の教育あるいは日本の姿勢が反対の方向に行っている感じがします。平和教育が少なくなったと聞いている。また8月6日の首相スピーチは毎年似たような内容の繰り返しです。非核三原則を維持するなどと、事実に反することを国のトップが言うことに失望します。日本には原爆と内部被曝で苦しんできた方がいるが、それに対して本当に向き合っているのだろうか? 悲しさと腹立たしさを感じます。でも希望を失わず、小さくても自分にできることを続けていきたいと思います。
A.I.さん)トランプ大統領が「使える核兵器」といって小型ならよいと言っているのは問題。放射能のその後の影響をわかっていないから言えること。映画では、肥田医師の内部被曝の話により、人々のその後の苦しみがクローズアップされている。そこを世界中の人に伝えないといけないと思う。
アヤ監督)過去のことは現在を考える上でとても大事です。過去に起きたことは終わったのではなく、気づかぬうちにまた繰り返します。原爆が街を破壊したくさんの人が死んだ、というだけではなく、その後、人々はどのようにその惨劇に向き合ったのか、それが私の映画のテーマです。そしてそれは福島の後でも繰り返されています。ですから、いま日本でとても大切なことは、人々が福島で実際に起きている本当のことを語り、ジャーナリストが調査して日本から情報を発信することです。日本で汚染のデータを集めるのはものすごく大事だと思います。いま福島はオリンピックとのからみで粉飾され、これは次の私の映画のテーマなのですが、福島はアンダーコントロールだという途方もないプロパガンダが世界に向けて発信され、人々はそれを信じてしまっています。私はスイスに住んでいますが、スイスの人たちもニュースを信じています。広島の原爆記念日にはたくさんの映像がテレビに流れますが、それは75年前のことであって、今起きていることとのつながりはありません。ドイツの第二次大戦時のホロコーストにも同じことがいえます。同じようなことが起こり、同じような構造が社会や政治の場でも繰り返されているのに私たちは気づいていません。私たちはもっと、過去の出来事を現在と繋げるように努力しなければいけません。教育を見直し、子どもたちが自ら考えることを学び、情報を集め、深く調べて自分の意見を持つことがとても大事です。戦争を繰り返してはいけないというだけでは、今の子どもたちにとって戦争は遠い過去のこと、歴史の本に載っている抽象的なことになってしまい、自分とのつながりがわからない。ですから、つながりをもたせることがとても大事です。アメリカの若者の75%が、戦争を終わらせるために原爆は必要なかったと考えているということを興味深く聞きました。とても励まされます。一方でドイツの大手テレビ局が作ったドキュメンタリーフィルムでは、相変わらずアメリカの見方、戦争を終わらせるためにどうしても原爆が必要だったという見方を繰り返している。まるで核兵器を祝福しているかのように。ドイツの文化的に良質な番組を作っているTV局がそのような番組を流しているのにショックを受けました。ヨーロッパの人々がそのドキュメンタリーを見たら信じてしまいます。人々がもっと教養を身につけ、批判的にものごとを見るようになり、TVで見たことをそのまま信じたりしなくなることが重要です。 (文責:石井暁子)
*(注):2020年10月25日、核兵器禁止条約調印国84、批准国50に達しました。2021年1月22日に国際条約として発効します。上田さん、よかったですね!(編集部)
*アヤ監督が英語で話した部分は、二宮さんがその場で日本語に通訳しました。また書き起こし全文と、映画に使われた短歌についてのアヤ監督のコメントはホームページで読めます。以下参照
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