広場だより18号 巻頭寄稿文 2016年5月16日 ちくりん舎訪問記

2016年5月16日 ちくりん舎訪問記

石井 暁子

 5月16日に西田、槌谷、佐々木、石井の4名でちくりん舎を訪問してきました。対応して下さったのは、ちくりん舎の浜田和則さん、青木一政さん、中西四七生さん、濱田光一さん、女性スタッフの方でした。

八王子を車で出発し、1時間ほどで日の出町の目的地に到着。ちくりん舎に登ってゆく急な坂の入り口では、「風の塔」と呼ばれるナウシカに出てくるような大きな風車のモニュメントが迎えてくれます。そして、ぐんと急坂を登りきったところに竹林をバックに現れる山小屋風の建物がちくりん舎でした。緑の濃い森を見下ろす絶景に鶯の鳴き声が響き、なんとものどかな様子。到着するとすぐに青木さんが出迎えて下さいました。

まずは見学、ということで、測定室に2台あるゲルマニウム半導体測定器を見せていただき、設置したときのご苦労や、温湿度を低く保つための工夫、冷却用の窒素が漏れた場合に警報が鳴るように設置された酸素濃度計のことなど、詳しく説明していただきました。測定室のすぐ外に設置されたパソコンで、2台の測定器から送られてくる測定データが見られるようになっており、スペクトルの鮮明さに一同息を呑みました。

次に検体の準備室。居室とはビニールで仕切られた明るく清潔な作業場は、理科実験室(ラボ)のようでした。様々な経験から積み重ねられてきた工夫の数々。中でも、汚染濃度の高い検体が部屋に舞うのを防ぐため、掃除機を利用して手作りした排気装置付きドラフトチャンバーには、ハカルワカルメンバーから「これ欲しい!」の声も。高機能の測定器で、尿のような濃度の低いものから土などの高いものまで測るので、微量な汚染も防がなければいけないというところでの試行錯誤があったそうです。また、布団乾燥機をプラスチックのコンテナに繋いだ検体用の乾燥機も見せていただき、創意工夫に感心するばかりでした。

一通り見学も済み、交流会となりました。まずは、今回測定をお願いする「ふくしまの水」を渡し(※)、なぜ福島市の水道水をわざわざボトリングして売るのか、というところから、放射能安全神話、シーベルトのまやかし、土壌検査の必要性、リネン布を使って空気中の粉塵の放射性物質を捕まえる試み、尿検査の結果からわかってきたこと、放射能汚染の高い植物についての情報交換などへと話題は広がりました。

中でも興味深かったのは、気流の知識が豊富な中西さんたち(たまあじさいの会)の検証から、汚染物質は川下へ集まっていくだけではなく、森と街との寒暖差により霧が上流に押し戻され、上流にも汚染スポットができることを発見したというお話でした。このような興味深いお話をハカルワカルのお茶会でもぜひしていただきたいとお願いしてきました。

今回の訪問では、福島と宮城に太いパイプの繋がりを持ち、長年の知見と技術力を駆使して被災地を力強く支援するちくりん舎の姿に感銘を受けました(市民の力ってすごい!)。また、みなさんの知識の豊富さとわかり易い説明に感服するとともに、大変あたたかく、快い対応をしていただきましたことに感謝の気持ちでいっぱいになりました。

これを機に、さらに交流を深め連携していきたいと思います。ちくりん舎の皆様、ありがとうございました。

※「ふくしまの水」は福島市の水道水をペットボトルに詰めたもので、福島市で販売されています。後日ちくりん舎より送られてきた放射能測定結果報告書によるとCs134 不検出(検出限界値 0.031Bq/kg) Cs137 不検出(検出限界値 0.033Bq/kg)でした。

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ハカってワカった話17号 5年間、原木椎茸測定記録

5年間、原木椎茸測定記録

二宮 志郎

相模原市の方が5年間同じ場所で採取した原木生椎茸の測定を続けてくれています。その測定結果を測った年との相関で示したグラフが以下です。

年々減って来て、今年の測定では測定限界に近いところまで減ってきています。2014年の段階では、Cs137は半減期が長いので減ってくれないのか、と思われましたが、今年の測定値ではかなり減ってくれています。

椎茸栽培の原木は5年程度が寿命で、そのくらい経つと椎茸に栄養を吸い取られた原木はカスカスになってしまうということですから、セシウムのかなりの部分が椎茸に吸い取られてしまったということでしょう。

そうすると、「これから先は5年前の放射能が飛来してきた時からの原木で栽培された椎茸というのはどんどん減ってくるから、それほど椎茸のことを心配する必要もなくなるだろう」、とそう考えたいところです。新しい原木がきれいな原木であれば、それは間違いないことでしょう。

新しい原木はきれいなのだろうか?

そういう疑問が当然出てきます。
椎茸の原木に向いているのはクヌギ・ナラ類ということですが、これから原木として切り出されるこういう木は、おそらく樹齢10年程度かそれ以上でしょう。そうなると、やはりあの時に汚れた木ということになります。

そういうことをお茶会の時にいろいろ議論したりしていたら、ちょうどいいタイミングで、昨年「核分裂過程」の上映会でお世話になった飯能の小林大木企画の方々から柿の木の表皮を剥ぎとったという検体の測定依頼がありました。

その測定結果が Cs137:156Bq/kg, Cs134:44Bq/kg

合わせて200Bq/kgです。もしこの木で椎茸を育てたらかなり高濃度に汚染された椎茸になるでしょう。柿の木で椎茸栽培というのはあまり聞きませんが、調べてみたらエノキ茸の栽培には適しているということです。

柿の木の表皮がこの程度汚染されているのであれば、クヌギの表皮も似た感じなのではないでしょうか。いずれにしても、「椎茸はもう安心」と言うのはちょっとまだ早すぎるようです。

そもそも「木を汚す」ということが問題なわけで、汚してしまったことを反省して「二度と汚さないようにしよう」と考えて行動することこそが、何よりも重要ですね。

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広場だより17号 巻頭寄稿文 「福島原発事故の実相について」

ハカルワカル広場お茶会特別企画 「福島原発事故の実相について」講演会

講師 佐藤和良氏

5月7日(土)1時より、アミダステーションにて、福島県いわき市の前市議・佐藤和良氏をお招きし、「福島原発事故の実相」について講演をいただきました。講演の要旨は次の通りです(特に印象深かった点をまとめました)。参加者は65名(スタッフ10名を含む)の盛況。現地の生の声を届けてくださった講師の佐藤和良様と仲介の労をとられた小金井市議・片山薫様に感謝いたします。講演後、手挽きのコーヒーとお菓子をいただきながらの交流会も活発に意見が出され、大変好評でした。

*日本中どこでも地震と原発事故は起こりうる    明日は我が身

福島原発事故は他人事ではなく、日本列島の活断層が活動期に入っている今、地震は日本のどこにも起こりうる。そこに原発があるのだから、原発事故も起こりうる。特に、熊本大地震は中央構造線に沿って起きており、伊予灘を超えると伊方原発があり、西の先端に川内原発がある。非常に危険である。歴史的にみると平安時代の貞観地震や秀吉の時代の慶長地震などの歴史地震に学ばねばならない。

*福島原発事故の背景

私(佐藤)自身は事故の前から脱原発ネットワークに参加していた。原発事故の直後、菅首相が「原子力緊急事態宣言」を出したとき、背筋が凍ったことを覚えている。メルトダウンが起こったと思った。そして、福島に残り、最後まで見届けようと覚悟した。原発の背景には貧困と差別がある。原発立地の浜通りは、「東北のチベット」と呼ばれていた。その地域が原発立地として選ばれた。原発が来れば冬場の出稼ぎはなくなると言われた。「安全神話」がそれを後押しした。命よりカネの論理が働いた。

*事故から6年目の現状

事故原因の真相は今も解明されていない。今も原子力緊急事態宣言は解除されていない。事故は収束していない。毎日、1368万ベクレルの放射性物質が大気中に放出され、アルプスという多核種除去設備でとりきれないトリチウムなどは海に放出されている。原発労働者の被ばくも深刻な問題である。

*放射能安全神話により、帰還を強いられる被害者

「原発安全神話」は「放射能安全神話」に変わり、年間20m㏜までは安全だとし、福島への帰還が強いられている(他の国民の被ばく許容量は年間1m㏜なのに、福島県民だけが20m㏜を強いられるのは憲法違反ではないか?)。2017年3月で住宅無償提供の打ち切りと、避難区域指定の解除が行われる。棄民政策である。国は、東京五輪までにと復興を急ぎ、福島原発事故はなかったことにしようとしている。福島原発事故は全国で「風化」し、加害者は「居直り」、被害者は「疲弊」している。故郷を追われた避難者は10万人、汚染地で暮らす福島県民は190万人にのぼる。また、甲状腺がんの多発、急性心筋梗塞による死亡率は全国一位である。健康被害の広がりはこれからであろう。

*声を上げ続ける被害者たちの闘い

これだけの事故を起こしながら、誰も責任をとっていない事実に、福島原発事故の刑事責任をただす福島原発告訴団の発足があった(2012年3月)。2013年3月不起訴となったが、検察審査会が二度の起訴議決をし、16年2月強制起訴へ持ち込んだ。同時に全国で東電への損害賠償請求訴訟が起こされた。この訴訟団やADRの申立団、告訴団などを結び、原発事故被害者団体連絡会(ひだんれん)が設立された。1.被害者への謝罪 2.被害の完全賠償、暮らしと生業の回復 3.被害者の詳細な健康診断と医療保障、被ばく低減策の実施 4.事故の責任追及 を目標としている。

*結び    これからの課題

これからはカネより命の時代、廃炉の時代になると思う。内部被ばくを低減するために市民放射能測定室活動が行われている(いわき市の「たらちね」など)。食品・全身測定と甲状腺検査の継続、検診センターの開設準備も進んでいる。原発事故被害者を救済する全国運動(100万人国会請願署名を秋の国会へ)もおこなっている。原発事故被曝者援護法の制定−−被曝者健康手帳の交付、健康診断・健康被害の予防・治療を国の責任で行うことを求めていく。中長期的目標の脱原発ではなく、即時・無条件の原発停止と廃止が必要である。

大地動乱の時代である現在、原発は今、そこにある危機である。エネルギー問題ではなく命の問題である。そして、このような問題を解決するには、原発推進が国策として行われている以上、政権を変えるほかはない。7月10日の選挙が大切だと思っている。(西田)

~福島の声を聞いて~

 佐藤和良氏の講演で最も心に響いたのは、東京に住む私たちも、単なる支援者ではなく当事者なのだということでした。熊本の大地震は、日本中どこでも、地震と、ひいては原発事故が起こりうることを実感させました。福島の被災者の方たちの苦しみを、他人事ではなく明日は我が身の問題として感じないわけにはいきません。

 私たちにできることは何なのか。今回のように現地の方たちの声を直接聞く機会を設け、交流を深めていくこと、そして、現地の実情を理解することが大切だと思います。具体的には、原発事故被災者を救援する全国運動の署名活動支援や、検診センター設立などへの協力、福島の土壌測定への協力など、福島の方との交流を通してやるべきことが見えてくると思いました。(西田)

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ハカってワカった話16号 2015年のまとめデータから

2015年のまとめデータから

二宮 志郎

昨年一年間の測定データをまとめて、開室以来のデータに合わせて4年分のデータをまとめてみました。測定値に関しては、「土」、「きのこ類」、「きのこ除く食品」の3つのカテゴリーに分けてまとめています。

測定検体数はなんとか月30を維持

グラフ1に4年間の月別測定数の変遷を示しています。年間で平均にした数字の年別変化がグラフ2です。

昨年の同時期に「測定数の減少はなんとか底打ちにさせて、その底の部分の数字を息の長い活動で支えていけたら…」ということを書いたのですが、なんとかこの1年は支えることができたようです。1ヶ月あたりの測定数で、2014年の37から2015年は35と、微減と言える範囲にとどめています。グラフ3で検体種類別の測定検体数に注目しても、その傾向は覗えます。

「きのこ除く食品」が3年間一直線に減ってきていただけに、この種の測定がほとんどなくなっていくことが危惧されていましたが、2015年の結果ではその傾向を逃れることができています。

ただ、「きのこ除く食品」は、Cs134検出率が4%にまで下がってきていることと、検出されても限界値近辺の微量でしかないという事実があります。私達は、観察した事実をありのまま伝えていきますから「食品の安全性が心配だから」ということでの測定依頼が減っていくことは間違いないでしょう。2016年にどのくらいの測定依頼があるか、あまり楽観的な見通しはできないと言えます。

土の高い検出率は変化なし

グラフ4を見れば土に関するCs137の検出率は90%前後でほとんど変化していません。放射性セシウムで汚れた土が身の回りにあることに関しては、誰も否定できない事実です。後は、それをどう受け止めて、どう考えるか、という様な問題になってきます。そういう意味では、「測定」という行為が占めていた重要性が小さくなってきているのは否定しがたいところです。

土の測定には、「福島原発事故による放射能汚染があったことを忘れない」という点では引き続き大きな意味があります。理屈ではわかっていても、実際に「いかに減らないものであるのか」ということを実感するには、身近なところにある土を測定してみるのが一番です。ハカルワカルでは引き続き身近な場所の定点測定を呼びかけていくつもりです。

土の検出値平均が上がってしまった謎

最初の2年間は、汚染の高いところを探して測定依頼しに来る傾向が強かったため土の検出値平均が高く出ていたようでしたが、それが終わって2014年ころからは同じようなレベルの数字で推移するだろうと見ていました。グラフ5を見ると、2015年の結果は2014年に比べて2倍近い高い数値になっていることがわかります。細かくデータを調べると、汚染値の上位10検体程度がかなり高めの数値であったために平均値を上げてしまったようです。

「汚染の高いところを探してもってくる」という傾向が復活したとも見れますが、検体数が少ないので「たまたま」そういう結果が出たと見ておいた方がいいでしょう。

「測定」という行為の持つ意味がいろいろ変わっていくのはいいのですが、「脱原発」が遠のく一方なのが何とも悲しい限りです。「どこかで流れは変えられるはずで、変えるのは私達である」、昨年の「核分裂過程」上映会でも学びましたが、あきらめないことですね。

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広場だより16号 巻頭寄稿文 映画『核分裂過程』

映画『核分裂過程』の上映はこうして始まった

小林茂樹・大木有子

 『核分裂過程』に出会ったのは28年前。ある映画祭の受賞作品の1本として友人と見て、大変な感動とショックを受けた。フィルムを借りて「原発とめよう2万人行動」の日の夜に上映会を開いた。1988年4月、チェルノブイリ原発事故の実態が日本に伝えられ、「原発止めよう」の声が全国にうねりのように広がり、1万人と呼びかけた日に2万人が日比谷に集まった日だった。反響が大きく、上映の問い合わせを何件も受けた。しかし版権がないのでフィルムはドイツに返されてしまった。青森県六ヶ所村には映画と同じ再処理工場が建設されようとしている。自分たちで映画を輸入し上映活動をしようと考えた。

資金は全国の反原発脱原発のグループや個人から借りた。監督に直接思いを伝え、非営利上映権を得ることができた。字幕は7人のメンバーが、それぞれ自分の魅かれる言葉を発する登場人物を担当した。監督の知り合いで大学のドイツ語の先生も協力してくれた。一つ一つの言葉について話し合い、半年余りをかけた。映画の力が全てを支えた。

再処理工場に反対する中で、自分の殻を破り変わっていったヴァッカースドルフの人々。民主主義とは何かを問い、言葉を紡ぎだす。その姿は普遍性を持って私達の心を揺さぶった。そして支援の若者たち。数万人のデモ。その運動の豊かさに目を見張った。なぜ、あのような運動が可能になったのだろう?ヴァッカースドルフの運動には、1970年代から始まるドイツ反原発運動の歴史が息づいていた。また戦争責任と向き合った戦後ドイツの歴史も反映されていた。

『核分裂過程』の原題は“SPALTPROZESSE(分裂する過程)”。核の分裂と人間社会の分裂・分断の両方にかかる。工場を取り囲む「鉄柵」は分断の象徴である。映画が作られたのは鉄柵が張り巡らされ州政府の弾圧が激しさを増す時期だった。けれども、人々も映画もありったけの想像力でその鉄柵を超えようとした。

1989年、字幕作りの最中に「建設中止」のニュースが入ってきた。そのニュースを携えて、映画の上映を開始した。映画を観た人が次は自分たちで上映会を開く、という形で『核分裂過程』は「連鎖反応」するように全国で上映されていった。

『核分裂過程』意見交流会概要

司会:下笠  パネリスト:小林、大木、花澤、金剛寺、久保井、石井、槌谷、鵜飼

花澤:今の日本とぴったり合っている映画が、30年も前にあったということが信じられません。民主主義ってなんだ?という今にぴったりの言葉が出てくるし、沖縄、原発の再稼動、戦争法、全てが当てはまる感じがして、鳥肌が立つような思いで観ていました。

金剛寺:原子力の問題というのは結局、政治の問題でもあると思うので、普通の市民が立ち上がったから止められたというのも大きいと思います。

久保井:奥様方のしたたかに権力と闘う感じに共鳴しました。原発反対、戦争法反対というのではなく、これは私たちの平穏な暮らしを守る「権利のための運動なんだ」ということを周りに伝えて行けばいいのかなと思いました。

石井:映画の中で「こんなの独裁民主制だ」と言っていましたが、まさに今、独裁民主制に私たちは生きているのではないかと思います。テレビは本当のことを伝えないとわかり、大事なものが何かわかったら、闘わなければいけないのだと思いました。

槌谷:最後の3分で、工場建設が止まった原因が、フランスに再処理に出した方が安いという金の問題だとわかりましたが、事実は市民の運動で止めざるを得なくなったのだと思います。結果としてドイツは今、原発を止めるという話です。それが日本ではやっと今、動き始めた。

鵜飼:よく、ドイツに学ばなくてはいけないと言われますが、今のドイツというよりも、この頃のドイツ、原発推進で、平気で民衆を弾圧していた、そういうドイツが実は30年前にあって、でも住民たちは立ち上がって、言う通りにはならなかった。その闘いがあって初めて、今のドイツがあるのだということを実感しました。

会場:質問です。フランスの再処理工場から今度は北ドイツのゴアレーベンの最終処分場に廃棄物を運ぶにあたって激しい反対運動が起こっていますが、ドイツ各地の核施設からの廃棄物をフランスに搬送するにあたっての住民の反対運動はまだ続いているのでしょうか。

小林:ゴアレーベンの反対運動が始まったのは1970年代です。その頃から4万人ぐらいの人たちが街頭に出たり、線路に寝そべったりして通さないなどの活動を、今でもずっと、子供の代まで続けています。

大木:ドイツでは再処理はしないということを決定したので、今はドイツからフランスに使用済み核燃料を送ることはやっていない。ただ、すでに送られているものは返ってくるので、それを止めているということです。

小林:この映画はヴァッカースドルフの再処理工場のことを描いたのですが、それ以前からドイツでは各地で原発反対の運動が続いていました。1975年頃、ヴィール村で反対運動が始まり、ブロックドルフ原発や他の原子力施設候補地での反対運動の蓄積があって、その流れの中で再処理工場建設が止まり、次にカルカーというところの高速増殖炉も止まった。

下笠:ではここから、何ができるのか、どういう行動ができるのかというテーマに移ります。

大木:ヴァッカースドルフで行われていたのは直接行動です。投票によって議員を選ぶことは重要ですが、それで全部任せてしまうということはしない。選んだ議員、政治家たちが自分たちの生活を脅かすようなことをしている時には、それに対して異議申し立てを表明する、直接的に訴えるということが重要です。また直接行動だけではなく、自分たちの中から議員を送り出して、いろいろな形で議論する場に自分たちの意見を反映させていく行動も行う。ドイツではその両方のことをずっとやってきた。直接行動の中では、例えば外から来る人たちをどう受け入れるか、若い人たちが暴力的になっていく、そのことを地元の人たちはどう考えようか、それがマスコミに取り上げられた時にどうやって守っていくか、そういうことをとても真剣に考えて、一つ一つ議論する中で答えを出して積み上げ、そういう蓄積を、外にも伝わるような形で行ってきた。そのことを、私たちはもう少し学びたいと感じました。

小林:一人一人が自分の中にあるものをやるしかないと思います。映画の中に抵抗権(注)という言葉が2回ほど出てきましたが、これは1968年に初めてドイツ基本法に付け加えられた。その頃何が起こっていたかというと、日本では学生運動、パリの五月革命、プラハの春、世界の若者たちが動き出したその時期に、ドイツ基本法が改正されて抵抗権が入った。それと同時に緊急事態法、つまり国に何かがあった時に市民の自由を拘束できるものとセットになっていたということはちょっと考えた方がよい。だからこそ映画の中で市民は、これは抵抗権の問題なんだ、つまり自分たちの存在を脅かすようなものだ、というのだと思います。
(そのほか会場から、いろいろな活動のご紹介やご意見をいただきました。)

下笠:一人一人が行動し、続けるということが大事なのだと思いました。上映の最後にも出てきましたが、「何もできないなんて思わないこと」、この言葉を忘れずに今後活動していきたいと思います。

(注)ドイツ『抵抗権』ドイツ連邦共和国基本法第20条4項(1968年6月の改正で追加された)
政府が憲法と国民に背き、これを正す手段が他に一切ない場合に国民は抵抗権を発動できる。

(ドイツでは、ナチ党が基本的人権保護規定を無効化し、憲法体制を崩壊させた反省から「戦う民主主義」の概念が生まれた。1968年、西ドイツでは学生、市民、労働者による既存の政治体制に対する大規模な抗議運動が起こり、戦う民主主義の実現理念として抵抗権が基本法に明文化された。)

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測定結果まとめなど、資料的文書のリスト

測定結果まとめ関係

ハカルワカル広場だより

運営委員会等、議事録

その他

広場だより15号 巻頭寄稿文 自然エネルギーを「選び取る」社会へ

自然エネルギーを「選び取る」社会へ、一般家庭の電力自由化を考える

佐々木晃介

あの歴史的な地震・津波、原発事故の大災害から、4年が経ちました。国民一般の意識の中で、福島原発災害は忘れ去られようとしていますが、原発事故はまだ終わっていません。放射能の影響はこれからもずっと続きます。放射能は目に見えないばかりでなく、放射線の人の健康に及ぼす影響や汚染の拡散は私たちを言い知れぬ不安に陥れています。

東京電力福島第一原発事故は、日本のエネルギー政策の積もりに積もった「過ち」の結果といえます。軽んじられた安全規制や核廃棄物問題、意味もなく続けられる核燃料サイクルなどさまざまな「宿題」が置き去りにされ、国の原発への固執こそが、エネルギー安全保障や気候変動問題、電力システム改革などを阻害する要因となっています。

私たちは、過酷な原発事故により、目覚め、その「過ち」に気づきました。

この10年、世界では、環境エネルギー分野は「大転換」の時を迎えています。
資源的に石油がすでに「生産ピーク」を超えつつあり、他方で、世界の風力発電は原発の設備容量と肩を並べ、太陽光発電は原発の半分に達し、3年後には追い越す勢いです。「自然エネルギーは高い」は、すでに過去のものとなりつつあります。

もう一つの「大転換」は、大規模・集中・独占から、小規模・地域分散・ネットワーク型へのエネルギー体制のシフトがあります。本来小規模分散技術である自然エネルギーが低コスト化するにつれて、ご当地エネルギー会社や個人/地域でエネルギーを生み出し、自立する動きが出てきています。どの国でも電力会社は独占巨大資本なので、この大転換は構造変化を伴う大きな社会変容となります。

いよいよ2016年4月には電力小売り自由化、誰でも電力会社を選べるようになります。
2000年から始まった電力自由化がやっと一般家庭にまで及ぶことになります。

原発事故により目覚めた私たちは、どのようなエネルギー社会を目指すのでしょうか。
(1)原子力発電所を全廃する
(2)エネルギー大量消費社会から脱却する
(3)自然エネルギーを飛躍させ、分散型エネルギー社会を作る
(4)化石燃料依存から脱却し、気候変動を抑止する
(5)日本や世界の様々な環境破壊やエネルギー紛争の解決を目指す

一般家庭で電力会社が選べる、これは初めての画期的な出来事です。

それに備えて、原発の電気を買いたくない人に自然エネルギーを届けようと、小売電気事業を準備している会社や生協があります。ところがここに来て、自然エネルギーの電気だと言って売ってはならない、自然エネルギーも原発の電気も石炭火力の電気も、電気は電気、どれも同じものとして扱うという制度を国(経産省)が作ろうとしています。

私たちは、脱原発に向けて自然エネルギーを「選び取る」社会にしなければなりません。

ハカルワカル広場では「自然エネルギーのデンキエラベル勉強会」を7月と9月に行いました。
大勢の方に参加いただき、質問も活発で自分で「選び取る」強い意思が感じられました。
第3回は、12月12日(土)10:00~12:00を予定しています。
小売電気事業者登録状況、自然エネルギー会社紹介、料金システム、制度の問題点を勉強します。

  • 小売電気事業者は電気契約の際に電源構成の内訳の説明義務があります
  • 再生可能エネルギーなど、環境に優しい電力の購入ができます(小売電気事業者に確認)
  • 電源表示は、「FIT電気(固定価格買取制度で交付金を受けた再エネ電気)」は可、「グリーン電力」、「クリーン電力」、「きれいな電気」等の表示は不可

登録小売電気事業者 10月26日現在  48社(資源エネルギー庁ホームページより)
自然エネルギー供給をめざす電力会社紹介 5社(パワーシフトホームページより10/13現在)
自然エネルギーへの転換のために

  • 規模別太陽光発電や洋上風力発電などに対して新たな調達価格の区分を設ける。
  • 小売電気事業リスクを低減し資金調達や小売事業の運用を容易にするために制度を改善する。
  • 調達価格を定めるために必要なコストデータを着実に集積し情報公開を行う。
  • バイオマス発電について、規模や使用する燃料種別等によるきめ細かい条件を定める。
  • 発送電分離や電力取引を視野に、公共インフラとしての送電網への自然エネルギーの優先接続や優先給電を実現し、系統の増強・出力変動への対応などを積極的に行う。
  • 中長期的な自然エネルギー導入の目標を掲げ、実効的な自然エネルギー政策を行う。

最後に、公害による環境問題に関心を寄せ、成長優先の政策を批判し、効率重視の過度な市場競争は格差を拡大させ社会を不安定にすると論じた経済学者の宇沢弘文さんの「豊かさを支える社会システムとは」を掲げておきます。

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ハカってワカった話15号 減っているのかセシウム土壌汚染

減っているのかセシウム土壌汚染

二宮 志郎

ハカルワカルの呼びかけに応じて、身近な場所で土壌の定点測定を継続してくださっている人達がいます。おかげで、原発事故の影響が継続していることを実感するための貴重なデータ採取が可能になっています。今回はそのようなデータに注目してみたいと思います。

上のスペクトルは八王子市小比企町の2012年
5月(赤線)と2015年10月(青線)の比較です。この間に約3.4年が経過しており、それはセシウム134の半減期の1.7倍になります。その場合のセシウム134の減衰量を計算すると31%になります。796keVのピークは赤線の盛り上がりに比べて青線の盛り上がりは3割程度に減っているように見えます。また605keVのピークは赤線の方ではふたこぶになっている山の左側の位置ですが、青線の方ではこぶが見えなくなっています。3割程度に減って、右側の山の斜面に隠れて見えにくくなっているのだと理解できます。

一方セシウム137の方を同じ期間での減衰量を計算すると92%ということになります。1割程度減るかどうかというところですが、662keVのセシウム137ピークの場所で赤線の盛り上がり部分と青線の盛り上がり部分のヘリ具合はちょうどその程度に見えます。

結局この地点の放射性セシウムの減衰はほぼ物理的な半減期に従っているように見えます。この調子で行くと、現在2000Bq/kg程度あるセシウム137の汚染は30年後にも1000Bq/kg程度残ることになります。

上のスペクトルは千代田区の公園の土を毎年測っている4年分のデータを重ねています。
緑→黄→赤→青 の順で1年間隔で経過しています。数値変遷を括弧内前年比とともに示すと
Cs137:377→286(76%)→208(73%)→194(93%)
CS134: 302→166(55%)→92(55%)→63(68%)
のようになります。物理半減期に従うならCs137は毎年98%に、Cs134は71%に減っていきます。

最初の3年間は物理半減期よりかなり早いペースで減ってくれていたのに、去年から今年にかけては物理半減期に近いペースに減速しています。
おそらく、細かい粒子に付着していたセシウムは雨水が流れる度に細かい粒子の流れと共に少しずつ持って行かれて、そのおかげで物理半減期より早く減っていたのでしょう。そういう細かい粒子が流れ尽くしてしまって、残った付着分は雨水の流れで減ることがほとんどなくなり、物理半減期に近づいてきているのではないかと思われます。

こういう現象があちこちで起こっているのではないかと思うのですが、それを調べることができたのは4年間の定点測定のおかげです。

もう一箇所データを見てみます。
上のスペクトルは新宿区の公園の土で、去年の7月(赤線)と今年の9月(青線)の比較です。ほとんど重なるスペクトルですが、セシウム137を示す662keVのピークは青線の方がむしろ上に来ています。去年に比べて増えているということになります。
測定値でも
Cs137:333→394, Cs134:130→108
となっています。Cs134の数値は減っていますが、物理半減期に従うと1年2ヶ月経過すると130→87程度に減っているはずで、108との差の21は、その程度増えたと考えるのが妥当でしょう。
「増える」ということはあり得るのでしょうか。

それは、私達が「微量放射能漏れ監視プロジェクト」で雨樋の下に置いたゼオライトが毎月汚染値を増やしていることを考えれば、十分あり得ることだと理解できるでしょう。

再浮遊・再降下という形で日々降り注いでいる放射性セシウムは微量ではありますが、集積させて吸着させていくとかなりの量になっていきます。
「再降下の影響で新たに集積する分」ー「再浮遊で出て行く分」ー「流出による減少分」ー「物理半減期による減少分」
この結果がプラスになれば増えることになります。

おそらく新宿区公園の検体を採取した場所は少し窪地になっているとか、何か再降下してきたものを集積しやすい状況になっているのでしょう。

結局、全体で考えれば、物理半減期で減る分以外は単に移動しているだけです。物理半減期より早く減ってくれるところがあれば、早く減った分はどこかに移動しただけの話です。その移動した分を引き受けた場所では、物理半減期より遅く減っていったり、場合によっては増えたりするということになるわけです。

生み出してしまった放射能との付き合いは決して逃れられないですね。

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広場だより14号 巻頭寄稿文 金八デモはいま

金八デモはいま

毎週金曜日の午後6時。京王八王子駅近くの船森公園に思い思いに人が集まってきます。原発反対金曜日八王子デモ、略して金八デモの皆さんです。30分の集会の後、駅周辺を約40分、「原発なくたって」を歌ったり、「原発反対!」「安心して、きのこが食べたい」とコールしたり、手作りの風車を掲げたり、プラカードを持ったりして歩きます。「原発をなくしたい」との思いから、自分の意志で集まってくる人たちです。

金八デモは、ハカルワカル広場の有志が呼びかけて始めましたが、今は実行委員会が主催しています。ハカルワカル広場はホームページを担当、また、連絡場所を引き受けて協力しています。2012年9月14日が第1回。3年近くになります。「原発ストップの兆しが見えるまでは続けよう」と決めて、続けていますが、一向にその兆しは見えません。それどころか、福島原発事故はなかったかのように、原発再稼働への準備が進み、人々の関心も薄らいでいます。そんな中、金八デモを続けている皆さんのお気持ちを聞きたいとハカルワカル広場のお茶会で「思いのたけ」を話してもらいました。(西田)

<2015年6月6日 金八デモ参加者とハカルワカルボランティアの交流会>

西田:昨日で金八デモは125回目でしたが雨で中止となりました。金八デモにどのような思いで参加されているのか、その思いを語ってください。

M.Hさん:金八デモ実行委員会で実行委員をしています。これまで124回中120回くらい参加している。みんなで声を上げるのが性に合っている。時々、測定結果のデータを金八デモで報告して欲しい。

H.Tさん:北野に22年住んでいる。金八デモにも時々参加している。

S.Iさん:官邸前に行っていたが、昔と違い、組合動員とかではなく、個人の意思で参加しているところが今は違う。デモを企画するのは大変だと知っている。来たことのない人を誘っているが、なかなか来てもらえない。

K.Yさん:原発の爆発、その後の対応を見て、こんな連中にまかせてはおけないと思い、デモに参加しはじめた。自宅の浸透ますの汚泥を測定し(8000ベクレルあり)、原発の恐ろしさを実感した。

M.Kさん:津波の後、不謹慎かもしれないがこれで社会が変わると思った。そしてデモも政府のやることも変わってきたが、時間が経つと忘れて行く。今の社会に不満を持つ人が増え、集まる機会が増えれば希望がもてるのではないか。

T.Yさん:国会前に行っていたが、遠くて毎週は行けないので、金八は近くて助かる。金八デモを外に向けて発信することも大事。横浜や横須賀でもデモを続けている。それぞれ自分の地元でやることも大切だ。

K.Yさん:参加のきっかけは「秘密保護法」から、安倍政権に絶望と怒りを感じて。自分にとって金八デモは精神安定剤。腹の底から大声を出す。マスコミは萎縮しているが、金八デモには萎縮しないでほしい。女性4人のコールが素晴らしい。

Y.Kさん:初めは国会デモに行っていたが、続けるのは大変。金八デモには気軽に参加できるよさがある。続けているのは原発反対の気持ちを持続するため。気持ちはあっても参加できない友人の分も。楽観視はしていないが考えて行動していく。

A.Hさん:金八デモに初めのうちは何回か参加していた。

M.Oさん:運動を広めてゆくにはそれぞれの地元でやるのがいい。原発に始まり、「標的の村」を見て沖縄への関心が深まった。今は「辺野古に基地を作るな」とコールしている。北海道に帰るが、アイヌのこともようやくわかってきた。

Y.Uさん:母の親友も広島で被爆した。原発があると事故があると思っていた。アイヌを滅ぼした日本人の私である葛藤。だからデモに行き、絵を描く。

K.Aさん:デモの動画撮影という立場で参加している。罵声では外の人に響かないので、肯定的な言葉を使ってもっと外に伝わるように努力してほしい。

二宮:こんなにもいろいろな思いが金八デモを支え続け作っていることが分かった。毎週やっている人に頭が下がる。原発をなくすためにいろいろなことをやっていかねばと思う。

西田:新しい方が入ってくるととても嬉しい。原発反対の思いを可視化する役目が金八デモにはある。デモに対するハードルがあるようだが、それを超えられるような工夫が必要だと思う。最近はデモ行進のときの周りの反応がよくなったと感じる。
次に、実行委員のお一人であるイズミコさんにお話をうかがいました。

<2015年7月2日 イズミコさんインタビュー(聞き手:石井)>

  • 参加者の人数はどのくらいですか?
    ――始めたときは200人、一ヶ月後に100人、その後少しずつ減り、今は30人から40人くらいで推移しています。お花見デモには100人ぐらい来ました。
  • どんなコールをしながら歩くのですか?
    ――なるべくわかりやすく、子どももわかるくらいの言葉を使ったほうがいいかなと思い、「自然を守ろう」「安心して野菜や魚が食べたい」「原発事故は終わってない!」「原発なくても電気は作れる」など。最近は「沖縄とつながろう」「戦争する国絶対反対」などもあります。原発反対で始まったデモの団体なので、それ以外の新しい問題を入れるときは集会時に参加者のみなさんに聞いてみるのですが、問題の根本はつながっているので、だいたい同意していただいています。
  • デモにはいつも警察がつきますね。どのような手続きをしているのですか?
    ――デモは車道を歩くので警察に届け出をしなければなりません(都の交通条例)。毎週一週間前に書類を提出するのですが、その書類は手書きでなければなりません。しかも警察に行って、警察官の前で3部、それぞれにデモのコースも手書きします。中止の時は、その日のうちに中止届を出しに行きます。それから、公園で集会をするために市から(実際は指定管理業者)使用許可証をとり、使用料を980円払います。
  • 金八デモの目的はなんですか?
    ―—原発事故がうやむやにされていることや、深刻な放射能汚染が現在も続いていることを沿道の人に考えてもらいたいと私は思っています。

ただ最近、週1回のデモという今のやり方を続けるほうが良いのか、月1回くらいにしたほうが良いのか、という二つの間で悩んでいます。デモは人数が多いほうが、やっぱり効果的だと思うから、人数を少しでも増やしたいというのが、その根本にある気持ちなのです。金曜日の夜6時という時間帯で、もし参加層が制限されてしまっているのならば、例えば土曜や日曜などの昼間などで月1回に絞って、そこに集結すれば今よりもう少し参加層が広がるのではないかとも思うのです。でも、毎週やっているからこそ、都合の合う時にいつでも参加できるし、また毎週コツコツ続けて、訴え続けているということを高く評価してくださっている方もたくさんおられます。だからその間で現在悩んでいます。

どうしたら、もう少したくさんの人に参加してもらえるデモにできるのでしょうか?
デモで伝えたい問題は、原発問題以外にもどんどん増えてきて、どれもがとても深刻ですが、やはり、音や雰囲気で楽しく元気なデモにして、少しでも沿道の人たちに耳をかたむけてもらえるようにしたいのです。どうか、みなさんのお知恵をお貸しください。

イズミコさん、ありがとうございました。金八デモを続けながらも、そのやり方の面で迷いもあるということがわかりました。誰もが参加しやすい効果的なデモのあり方を考えるのは、これからの私たちみんなの課題ではないかと感じました。(石井)

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ハカってワカった話14号 「微量放射能漏れ監視プロジェクト」

「微量放射能漏れ監視プロジェクト」

二宮 志郎

今年の4月から「微量放射能漏れ監視プロジェクト」を始めました。空から降下してきた放射性セシウムが非常に高い率で濃縮される雨樋の排水口付近にセシウムを強く吸着するゼオライトを配置して、それを定期的にハカルワカル広場で測定することで、微量に降下してくるセシウムをとらえよう。というのが測定上の主な狙いです。

まずは地表にある放射性セシウムが再浮遊・再降下の現象でどの程度検出値に出てくるのかを把握して、その後は原発事故や核爆発などで新たな放射能が来たら、微量であっても確実にいち早くキャッチできる体制にもっていきたいと思っています。もちろん、そんな事態を期待しているわけではありません。「そんな事態と紙一重」のような状況に生きていることを忘れずに、そして「そんな心配のない世界にできることをあきらめない」ために、そういう思いがこもっているプロジェクトなのです。

現在17ヶ所の測定点にゼオライトが配置されていて、一回目の測定結果が出揃ってきた状況です。測定結果公開シートのリンクがホームページにあり、それを見れば詳細がわかります。

測定結果を見ると、かなりのばらつきが出ています。浜岡原発のある御前崎市は全く不検出、八王子市内でもいくつかの場所は全くの不検出、しかし出ているところではかなり出ています。Cs137だけで100Bq/kgを超えたのが東浅川町と西浅川町の2ヶ所でした。そのスペクトルは右上図のようになっています。このスペクトルは3本の線が重なっていて、西浅川、東浅川、そして初期測定(ゼオライトを配置する前に測定したもの)です。

西浅川Cs137:132Bq/kg, Cs134:35.8Bq/kg
東浅川 Cs137:141Bq/kg, Cs134:26.8Bq/kg

という検出値が出ています。Cs137,Cs134のピークは2本のスペクトルはほとんど重なっていて、同じような検出量であることを示しています。

100倍近い濃縮が効いているとするなら、1Bq/kg程度に表土を汚染するレベルでも、このくらいの数値は出ます。そういう濃縮がたまたま浅川を地名に持つ2ヶ所で出たということかもしれません。今後の測定の継続でさらに詳しくわかることだろうと思います。

この2ヶ所以外にも、元本郷 Cs137:70Bq/kg、横川町Cs137:46Bq/kg、散田町 Cs137:24Bq/kg、という具合に不検出との間に測定値の分布があります。

今までの測定結果ではまだあまりたくさんのことを語ることは難しいですが、放射性セシウムの「再浮遊・再降下」という現象は確実に起こっているということは言えるでしょう。

高い数値が出る場所は一貫して高いのか、季節による違いがどのくらい出てくるのか、そういうことを観察する上で2回目以降の測定値を見るのがとても楽しみになってきました。このプロジェクトにたくさんの人が参加してくれていることに感謝しています。継続して測定する手間は大変だと思いますが是非よろしくお願いします。またこれからでも新規に参加できますので、興味のある方はご相談ください。測定結果は毎月第一土曜日にハカルワカル広場で行っているお茶会での測定結果のおさらいの時にも紹介していくつもりです。

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