1.測定室がほしい!
2011年7月23日・・・・「子どもたちの未来と自然エネルギーを考える八王子市民講座(以後、市民講座と略する)」の第3回講座の分科会で、「食の安全」をテーマに学習し発表しました。そこで原発事故由来の放射能による食物の汚染の深刻さを学び、調べ、そして、内部被ばくの恐ろしさも知りました。外部被曝も恐ろしいけれど、食品を通して体内に入って、臓器に付着し、放射線を出し続ける内部被ばく。小さな子供ほど、細胞分裂が激しいために、内部被ばくの影響は大きいということも知りました。また、日本の基準が諸外国に比べ高いこと、国や自治体の検査をすり抜けて汚染された食品が出回っていることも知りました。知れば知るほど、「自分たちで測りたい]という思いは強くなっていきました。そこにお呼びしていたのが「小金井市民放射能測定連絡協議会」の方達だったのです。そのお話を聞いて、分科会では、「測定器で実際に測りたい!」 「本当のことは測定しないとわからない」 「市民で測定したい」と、半ば叶わぬ夢を語るように、語っていました。
2.小金井市民測定室見学
2011年8月4日・・・市民講座の反省会で、「小金井市民測定室を実際に見学に行こう!」という話になり、8月4日に見学に行きました。それが、多分測定室設置運動の事実上のスタートとなりました。チェルノブイリ以降、小金井市と協力しながら、市民の手で黙々と測定してこられたという事実に、そしてこうして市民がボランティアで測定できているという事実にどれだけの勇気と示唆を頂いたかはかり知れません。「私達にもできるのではないか」という気持ちが大きく私たちの中に芽生えたのでした。2時間ほど、矢継ぎ早に質問をし、誠実にお答えをいただき、最後に「23年間、市民で測定できたのは、お互いの信頼関係があったから。市との共働事業というのも良かった。また、地味な測定活動だが、反原発の拠点という意識でやってきた。」と話されました。帰途に立ち寄った喫茶店で、「測定室を作りたい!」と熱く語りあいました。この見学会が運動の始まりでした。
3.測定室プロジェクト立ち上げ
8月18日・・・第1回測定室プロジェクト会議 市民講座の中で「測定室プロジェクト」を立ち上げました。この頃は小金井方式で行きたい(測定器、場所は市が提供し、市民が測定する方式)を考えていました。八王子市に、小金井市のような市と市民の協働型の測定室の設置や、消費者庁の食品放射能測定器貸与に応募して欲しいとお願いしました。しかし、市の回答は「国や都が検査しているので大丈夫」の一辺倒で、消費者庁からの食品放射能測定器の貸与にすら応募しませんでした(2011年9月時点において。2012年1月には応募し貸与が決まっている)。 ついに「自分たちで作るほうがはやい!こどもの成長に間に合わない!」と、設置運動を始めることにしました。
4.メーカー見学会
9月14日、15日・・・メーカー見学会 まだ残暑厳しい9月半ば、14日は福生の応用光研に、15日は 浅草橋のベルトールド社に、また、末広町のアドフューテックに見学に行きました。その最後の会社が、測定機AT1320Aを扱っていた会社で、これも運命的な出会いでした。私たちの測定室の科学的な大黒柱の、二宮さんが非常に気に入り、私達も、よくわからないけれど担当者の熱意とか、科学的に専門性があるというところに魅力を感じました。何より値段が性能に対し、格段に安かったのです。そして、無謀にも9月30日、1円も持っていない私達は発注してしまいました。
5.寄付集めなどの活動
10月1日・・・AT1320A発注翌日からが本格的な設置運動の始まりでした。ほぼ毎週末、八王子駅前や南大沢駅前で街頭に立ち、チラシを配り、カンパを訴え、500円一口の寄付を集め始めました。最初はなかなか寄付が集まらず先行きが不安で、正直、この先のことを考えると眠れない日もありました。でも、「もう引き返せない、やるしかない!」そういう思いで、あらゆるつてを頼り、そして、特に「八王子こどもの未来を守る会」の方々の強力な支援に後押しされて、この運動を進めました。(*「八王子こどもの未来を守る会」とは、3.11後、子どもたちへの放射能の影響を心配する保護者や地域の大人の方がインターネットのメーリングリスト上に集まって情報交換をしていくうちに、「ゆるくつながりながら子どもたちの健康と安全を守るために出来ることをやっていこう」と立ち上げたネットワークです。)
6.測定会(ゼロ☆ヒャクにて)
11月21日~27日・・・スペースゼロヒャクを借りて1週間限定の測定イベントを行いました。これが大きな転機となりました。二宮さんが友人と共同購入された測定器をご好意でお借りして、測定会をやりました。市内はもとより、市外からも多くの方が測定に来られ、大盛況でした。ボランティアで測定し、測定結果について話し合う、不安な方と共に語りあう集いの場になりました。最終日、測定会の反省会でプロジェクトチームの林さんが測定会の印象を「宮沢賢治のポラーノ広場のよう」と、「ポラーノ広場」の一節を朗唱されました。 その作品の一節のように、私達の測定室は、「みんなが集い、そして元気になって帰っていく広場」のイメージが出来ました。私たちの測定室は「市民による市民のための測定室でありたい!そう、こんな感じなんだ!というイメージが出来ました。大きな転機でした。どんな時もその気持ちを忘れずにいるために、現在も測定室の壁にその一節を掲げています。(ご支援くださる書道家の方からご好意で作品をご寄付いただきました。是非ご覧ください!)
7.場所決まる!
もう一つの大きな転機はこの場所をお借りできたことです。プロジェクトチームのメンバーの榎本さんがが友人から「中央診療所の2階が空いているよ」と教えていただき、更に別のメンバーの井上さんが中央診療所の事務長と昔からの知り合いで、話がとんとん拍子に進みました。その上、私たちの趣旨を理解してくださり、ご好意で法外の安値で貸してくださいました。広い場所、安い家賃、そして家主が、山田真先生という子どもの内部被曝に最も理解のある小児科医の先生だという幸運に恵まれました。12月19日・・・場所の契約を済ませ、ホッとすると同時に、「さぁこれからオープンに向けてがんばろう!」という気持ちが高まりました。
8.リフォーム大作戦
12月19日~22日・・・契約のその日から、猛烈なスピードでリフォームを始めました。この場所は長く使用されていなかったため、壁にはカビや染みがあり、そのままでは測定室としては使えませんでした。そこでリフォーム作戦が始まりました。お金のない私たちですから、リフォームも全てボランティアを募り、人海戦術で行いました。ペンションを手作りで建てたこともあるという玄人はだしのメンバーのjirochoさんに陣頭指揮をお願いし、人海戦術で(10人以上集まった日もあった)、壁と天井の掃除、ペンキ塗り、それが終わると6畳の「ちゃぶ台スペース」(靴を脱いでくつろげる”あがり”スペース)を作り、見事に生まれ変わりました!たった4日間の早技でした。守る会のお母さんたち数人がカーテンを縫ってくださったり、デスクやキャビネット、冷蔵庫やプリンター、傘立てや電気ポット、お湯飲みなどの備品に至るまで、ほとんど全て、支援して下さる皆様からの寄付で出来上がりました!測定室の愛らしいロゴのデザイン、窓の飾り文字とウェルカムボードを作って寄付してくださったのは、「八王子こどもの未来を守る会」に参加されているプロのイラストレーターのミツヨさんです。他にもお名前を上げることができないほどたくさんの方の愛情のこもった、正真正銘手作りの測定室です。
9.オープニングセレモニー
そしていよいよ1月29日、測定室の開室を迎えました。リフォームが12月に一応終わって、1カ月余はオープンの準備や、オープニングセレモニーの参加者への案内状作成、郵送などに追われました。高名な方などは招待せずに、この測定室を作るために動いてくださった方、支援してくださった方をお呼びする、草の根の、手作りのオープニングセレモニーをと願いました。
予想より多くの参加者が見込まれたため、2部構成にし、1部は八教組を始め外部から支えてくださった方々、2部は内輪の、「八王子子どもの未来を守る会」の方たちを中心に、こどもづれOKの会にしました。
みかさんたち、セレモニー担当班の周到な準備のおかげで、セレモニーはスムーズに進行しました。子どもたちのくす玉割りで開会。測定済みの手作りクッキー、測定済みのおにぎりなど、手作りのもてなし、二宮さんの測定器デモンストレーション、西田によるこれまでの設置運動の歩みの話、参加者のスピーチなど、盛りだくさん。最後に林洋子さんが宮澤賢治の「ポラーノ広場」の一節を朗唱してくださいました。そして、八王子テレメディア、各新聞社の取材などもあり、感動的な、温かなセレモニーとなりました。
2部では子供向けの紙芝居を林洋子さんがしてくださり、より温かな、ほのぼのなものになりました。お互いのこれまでの労をねぎらい、開室を喜び合うものとなりました。
10.これからの課題
さて、1月30日から通常の測定室業務が始まりました。1日5検体測定。測定結果は原則すべて公開。10時~16時の開室。1検体1000円、会員は500円の測定料。破格の値段にしているのは、誰でも気軽に測定に来てほしいためです。お金に余裕のある人だけが測定できるのではなく誰でも測ってもらいたい。その願いを込めましたが、この料金では運営ができないので、運営費をサポートする維持会員を募集しています。
人材面でも、課題は山積しています。ボランティアで測定し、また運営しているために、ボランティアの方々の協力が必須です。
「子どもの内部被ばくを、食品を測定することで防ぎたい」という願いで始めた測定室設置運動。 私たちには何一つなく、あるのは強い思いだけでした。その思いが形になったと言う感動! しかし、喜びもつかの間、金銭面でも、人材面でも、課題は山積みです。でも引き返すわけにはいきません。 よちよち歩きの測定室ですが、何とか運営を継続し、長く続けて行きたいと願っています。いつか、食品の放射能汚染が消え、測定室が不要となるその日まで、多くの方と力を合わせ、次世代の子どもたちの未来のために、継続して行きたいと願っています。ささやかな、しかし具体的な測定という行動を通して、市民の役に立ちたい、市民と繋がっていきたい、そして、反原発の市井の拠点となりたいと強く願っています。
2012.3.20 西田照子記