昨日、一回目の原発反対八王子行動をやってみて、どのようなデモのやり方にするか、試行錯誤で行くとは言え、真剣に考えながらやっていく必要があると感じました。
そもそも、私くらいの世代(東京新聞にも出たように私は53歳)くらいから、デモというのには、何かしら普通の人が近づくべきものではない、非常に強いネガティブなイメージが染み付いているのを感じながら育っていると思います。「デモに参加」などいうことは、何か人々に眉をひそめられることで、友人や同僚の前で堂々と言えることではないみたいな、そういう感じがずっとありました。それを振り切ってデモに行っていた人たちは、もう何か吹っ切れているので、「まわりから浮く」とか、「人々の輪が広がらない」とか、そういうことは気にしなくなってしまって、「自分の正義感みたいなものに対してどれだけ忠実に生きれるか」みたいなことしか考えてない側面があったと思います。
チェルノブイリ以降、「デモ」を「パレード」と言い換えてみたりとか、歌や踊りのパフォーマンスを入れたりとか、いろいろ努力が始まったというのはありましたが、あんなところで踊りまくれる人も別の意味で飛んでしまっている感じで、やっぱり 普通の人が近寄れるものではない感じはありました。
ここへ来て、それが変わるかもしれないという感じはするのです。でも、たぶん努力しないと変わらないでしょう。だから、ここは少しみんなで真剣に考えながら、私たちのデモを作っていく必要があると思うのです。
そもそも、これがない限りどんなに工夫しても、ごくまれに人々が大勢で行進するのを見ると、「何あれ」という異様な感じを受けるのは拭えないでしょう。そういう意味で、八王子で週一回繰り返しでやることの意義はすごく大きいと思います。
一般のデモのスタイルというのは
- リズミカルな短いコールを繰り返しながら進む。(「原発いらない」とか言いながら歩く。
- やや長いコールで叩きつけるように叫ぶ。シュプレヒコールと言われるやつはだいたいこれです。「東京電力は事故の責任をとれー」とかいう類。
- 演説調で誰かがしゃべり続ける(宣伝カーのようなものがある時は、そこから呼びかけ調でしゃべり続けたりする)
楽器やいろいろ鳴り物をいれたりするにしても、基本は上の3つの組み合わせでデモの雰囲気ができるみたいなところがあります。逆に言えばこれやらないとデモの雰囲気にしにくいから、やっぱりこれやるのが楽ということです。
部分的にでも何かもう少し違うもの、特に参加者の自己表現につながるようなものが何か欲しいと思うのです。その辺を14日のデモの後に残ってくれた人たちと話しました。
ことができるようにしたいのですが、いきなりマイク突きつけられてそれができる人はほとんどいません。実際問題あれかなり勇気いります。最初はメモ書きの棒読みでいいから、そういうのを準備してお願いできる人を探さないとだめかもしれません。
デモと直接関係ない話しでも気軽に出てくるという雰囲気ができたらすごくいいと思うのです。
「私は、南口で飲み屋をやってますので、終わったら飲みにきてください」
「うちに不要になったらベビーカーあるので、誰か買ってくれませんか」
こんな感じの話まで飛び交うようになったら、デモはもっと楽しくかつ生活の役にも立つ場所になってくるでしょう。
そういうことをいろいろ考えております。
そして、次回のデモでちょっとしゃべってくれる人大募集です。
私は「ハカルワカルのこの一週間」というので、測定結果なども交えながらたんたんとしゃべる、というのをやってみたいと思っているところです。
ご意見等ありましたら、是非これへのレスポンスで書いてみてください。