広場だより11号 巻頭寄稿文 映画「シロウオ~原発立地を断念させた町」

原発計画を阻止した町が30以上もあった!

映画「シロウオ~原発立地を断念させた町」

監督 かさこ

原発計画がありながら計画を阻止した町が30以上もあることをご存知だろうか。私は恥ずかしながら2011年に福島で原発事故が起きる以前はまったく知らなかった。

かつて日本各地に原発計画が持ち上がったのは数十年前のこと。高度経済成長期に、石炭や石油に依存せずに発電できる原子力は、輝かしい未来のエネルギーとして喧伝された。当時はチェルノブイリ原発事故も福島原発事故も起きていない。だから多くの国民は原発にもろ手を挙げて賛同したと思っていた。

ところが違った。もうその頃から原発の危険性に気づいた住民がいて、原発反対運動を行っていた。しかも国策で進められようとしていた原発計画を30以上の町が阻止したという事実に私は愕然とうちのめされた。原発の安全神話のウソをすでに見抜いた人がこんなにも多くいた。「いつか必ず事故が起きる。だからこんな危険なものを建てるわけにはいかない」。その事実を知った時、福島の事故は防げたのではないか。そんな悔しさがこみ上げる。にもかかわらず、未だに原発神話にしがみつき、原発再稼働が次々と行われようとしている。

原発計画を葬り去った住民は当時、何を思い、原発に反対したのか。30以上の町の中で、海を挟んで互いに協力し合った和歌山と徳島の住民にスポットを当て、当時の話を聞いた。それをまとめたのがドキュメンタリー映画「シロウオ~原発立地を断念させた町」である。

多額の補償金を積まれながらも彼らが断固として原発に反対した理由。それは豊かな自然や故郷を守り、子や孫に恥ずかしくない大地や海を引き継ぐということだった。しかし当時はそうした考えを嘲笑する人もいた。「日本で事故が起きるわけがない」「事故が起きても町に人が住めなくなるようなことはない」。しかし彼らの懸念は2011年に現実のものとなった。

私は福島原発事故により高放射線量のため人が住めなくなった「死の町」=福島原発20キロ圏内に一度、事故後に訪れたことがある。そこで見て驚いたのは「ここは北朝鮮か」と思うほどおかしな原発賛美看板だった。「原子力豊かな社会とまちづくり」「原子力郷土の発展豊かな未来」「原子力明るい未来のエネルギー」「原子力正しい理解で豊かなくらし」。悲しいかな、原発で豊かな町になるはずが、ここは今、人が住むことのできない立入禁止エリアとなった。この現実を前にして、故郷を失うほどのリスクを背負ってまで原発を再稼働する必要はないと確信した。

原発事故対応した当時の首相菅直人氏が著書で「首都圏3000万人を避難させることまで考えた」との文章を見て、己の危機意識のなさにうちのめされた。しかもたまたま運が良かったから首都圏は避難させないで済んだのだ。原発リスクは原発がある町や県だけの問題ではない。

「福島で原発事故が起きたにもかかわらず、なぜ原発再稼働させたのか?バカじゃないの!」と数年後に子や孫に後ろ指を指されないためにも、今、大人たちが自分たちのためではなく子や孫に安全な暮らしを引き継ぐため、原発問題を考えなければならないと思う。そのきっかけに映画「シロウオ」をご覧いただけたら幸いだ。

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