9月の定例お茶会は「自主避難」(実際は福島原発事故により子供の被ばくを避けるため避難を余儀なくされた方たち)の実状について、避難者の自助組織であるNPO法人「ココロとカラダを育てるハッピープロジェクト」の代表理事ましこりかさんをお迎えし、お話しいただきます。今年の3月で住宅支援も打ち切られました。加害者である東電と国は全く責任を取っていません。私たちにできることは? お話を聞いて一緒に考えましょう。
と き:9月2日(土)10時~12時
ところ:ハカルワカル広場
講 師:ましこりかさん
- NPO法人ココロとカラダを育てるハッピープロジェクト代表理事
- つながろう!放射能から避難したママネット代表
暑い中ですが、ぜひご参加ください!
ハカルワカル広場
西田です。
10月27日(金)、福島原発被害東京訴訟の原告団長鴨下裕也さんのお話を聞く会に参加しました。(「フクシマを忘れない連続講座・第1回――まなびつなぐ広場主催)
たくさんの驚くべき生の声を聴けたのですが、その中で、原告の中学生の意見陳述がありましたのでご紹介します。
「このおとなたち」が私たちですね。
【3.11避難者の声】福島原発被害東京訴訟の中学生による原告最終陳述
1.いわきでの生活
僕は、福島県いわき市で生まれ、両親と、5歳離れた弟と共に生活していました。
当時は、春になればテレビで何度も紹介されるくらい桜並木の有名な「夜の森公園」で花見をし、夏は潮干狩りに行き、秋はきのこ狩りをして、冬は雪だるまを作る。公園や学校の帰りの通学路でツクシをたくさん採って帰って、お母さんに作ってもらうツクシの佃煮が好きでした。家も庭も広く、ブルーベリーやしいたけ、プチトマト等は庭で収穫できました。学校では友達と昆虫を見つけたり、泥団子を作ったりして遊んでいました。
2.事故が起きた後の生活
しかし、2011年3月11日を境に、このような生活は全てなくなってしまいました。夜の森公園は今も帰還困難区域だし、放射能だらけの泥で泥団子は作れません。
しかし、何よりも一番つらかったのが、転校先でのいじめです。図工の時間に作った作品に悪口を書かれていたり、菌扱いされたりしてきました。そのようなことが続き、できることなら死んでしまいたいといつも思うようになりました。小学校の3年生か4年生のときには、七夕の短冊に「天国に行きたい」と書いたこともありました。
たぶん、避難者についてよく知らされていない人の目には、福島から来た避難者は家が壊れていないのだから何も被害はなかったのに多額の賠償金だけもらって、しかも東京の避難所にただで住んでいる「ずるい人たち」とうつるのでしょう。本当は、東京電力や国が、放射能汚染の恐ろしさや僕たち家族のような区域外避難者にはほとんど賠償金を払っていないことなど、正しい情報をみんなに伝えてくれていれば、こんな勘違いは起きなかったと思います。
実際、中学生になって今までの学校と全く関係のない学校に進学して、ずっと自分が避難者ということを隠していますが、いじめは起きていません。
3.大人に責任を取ってほしいこと
原発によって儲かったのは大人、原発を作ったのも大人だし、原発事故を起こした原因も大人。しかし、学校でいじめられるのも、「将来病気になるかも」と不安に思いながら生きるのも、家族が離れ離れになるのも僕たち子どもです。
原発事故が起きてしまった今、本当は誰も安全なんて言えないはずだし、実際、誰も僕に「君は病気にならないよ」とは言ってくれません。なのに、東京電力や国の大人たちは「あなたの地域はもう大丈夫ですので安心してください」と言って、危険があるところへ戻らせています。でも、僕たちが大人になって病気になるかもしれない頃には、僕たちを無理やり危険な場所へ戻らせた大人たちは死んでしまっていて、もういない。そんなのひどくないですか?
僕たちはこれから、大人の出した汚染物質とともに、生きることになるのです。その責任を取らずに先に死んでしまうなんて、あまりに無責任だと僕は思います。せめて生きているうちに、自分たちが行ったこと、自分たちが儲けて汚したものの責任をきちんと取っていって欲しいです。
そして今は「放射能汚染した場所に戻りたくない」と思っている僕たちを無理やり放射能汚染している場所に戻らせることは絶対にやめて欲しいです。僕、父、母と弟はもちろん、避難者はみんな原発事故が起きてから、生活、人生も変えさせられてしまいました。 誰も望んだことではありません。避難者は、みんな同じです。東京電力と国には責任をとってもらいたいと思います。裁判所は、僕たち子どもたち、そして、全ての避難者の声に耳を傾けてください。以上