核と右肩上がり時代の終焉

ボランティア 二宮 志郎

右肩上がりの時代

 新型コロナウィルスがもたらした事態は何だったのか。そのことは多くの学者に予測されていたのに、私達は何故無防備にそれがやってくるのにまかせていたのか。無防備にならざるを得なかった理由はどこにあるのか。
 ある学者が話の中(注)で上のグラフを出してきて、原因は地球環境に対して人類が与えている影響があらゆるところで急激に起こっていることを上げていた。
 (注):Peter Daszac, The ecology of pandemic era
 野生動物と人間活動の境界を急激に変化させることが、野生動物の中にしかいなかったウィルスを人間界にもたらすことにつながっているらしい。そしてその頻度は確実に増えてきているというのだから、第二、第三のコロナ騒動も覚悟しておく必要がある。
 グラフの元データはwww.igbp.netにあり、そこからダウンロードすれば一つ一つのグラフを拡大してみることもできる。たくさんあるグラフの横軸は始まりが1750年、赤い字で書いてある点が1950年、右端が2010年である。
 左半分の社会経済的傾向は全て急激な右肩上がりのグラフになっているが、その急激な上昇が始まるのは赤い印のちょっと左からというのが多い。それは核の時代と同期しているように見える。

人新世

 この人類が地球環境に大きな影響を与えることになる新しい地質年代として「人新世(アントロポセン)」という名前が提案されている。そして、その始まりの定義としては「1945年のトリニティ実験(広島・長崎の前にアメリカがニューメキシコで行った人類最初の核実験)」とする説が有力らしい。
 この人新世なるものの初期の急激な右肩上がりがいつまでも続くなどということはありえない。
 ただ私達の人生は、あり得ない状況の中にいる異常をあたりまえと勘違いできるくらいに十分短い。今生きている人達の大半はトリニティ以後に生まれていて、人新世の中で育っている。冒頭で上げた「何故無防備にコロナの事態を迎えてしまったのか?」という問いへの答もここにあるのではないだろうか。
 各グラフの赤い印の1950年と右端の2010年の中間、1980年の時、私はまだ学生だった。あのころを思い出してみると、「右肩上がりをいつまでも続けることはできない」という警告はすでにあちこちであった。しかし世界の回答は「まだまだ行ける」ということだったのか、グローバリズムによる市場の拡大は右肩上がりの時代を2000年を越えて引きずっていった。

 原発の推進もその回答の一つだった。右肩上がりを支えるエネルギー源ということだったが、原発の場合はスリーマイル、チェルノブイリの事故を経験して1990年には右肩上がりは終わっている。右肩上がりが続いていたらフクシマの経験は一回ですんでなかったかもしれない。

オーバーシュートの悲惨

 コップに水をどんどん入れていくと、表面張力で縁から盛り上がっていき、ある程度まではコップの容量を越えるところまで水を入れることができる。オーバーシュートとは、この容量を越えた分の水だと考えればいい。盛り上がった水の量が多いと表面張力で支えきれなくなって溢れ出る時の量も多い。

 上のグラフで赤線は激しいオーバーシュートが起こった例、青線は小さなオーバーシュートが起こった例を示している。激しいオーバーシュートが起こるとその反動が大きく、グラフの赤線は劇的な減少を伴っている。この劇的な減少は場合によっては悲惨な状況を作る。コップの水の場合水がこぼれ落ちるだけだが、人口だったら大勢の人が死ぬことを意味する。おそらく社会的経済的立場の弱い人から先に悲惨な死に方をすることになる。
 赤線と青線の違いは、容量オーバーにどれだけ早く気がついて右肩上がりを止めるかにかかっている。

いかに終焉させるか

 新しいウィルスによる疫病、地球温暖化、放射能汚染、生物種の絶滅、こういった様々な問題は、右肩上がりの時代が終わるとともに自然と終息するだろう。その時に人類も終焉していれば元も子もない。もし人類が生き残れたとしても、とてつもなくたくさんの悲惨な死の後に生き残ったのであればあまりに悲しい。
 新型コロナウィルスは「人類はもうオーバーシュートのところまで来てしまった」という事の警告の一つだったのだろう。上のグラフの緑の丸の領域に来ているということだ。これから先、赤線をたどるか、青線をたどるか、それは人類の行動いかんによる。
過去の実績を考えれば、この先人類が考え直して行動を改めていくなどということはできそうもない気がする。しかし、行動を改めていくことは、様々な矛盾を抱えながらでも少しずつ始まっている様にも見える。とにかく、オーバーシュートを小さくすることにつながる努力はどんなに小さなことであろうと意味があると思いたい。
 起こっている事実から目をそらさないようにすることは第一歩であり、それは誰にでもできる。冒頭に上げたグラフや、様々なデータを最新情報で更新しながら、何が起こっているのかを意識の中に置いていきたい。「ハカルワカル」とは正にそういうことである。

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