広場だより23号 巻頭寄稿文 おしどりマコ&ケンさん講演会

おしどりマコ&ケンさん講演会(10月22日 クリエイトホール)講演録

石井 暁子

《きっかけ》

2011年に大阪から東京に引っ越して来て3ヶ月で原発事故が起こった。3月19日から品川の劇場で子供向けのキャンペーンの看板キャラクターとしての出番があった。一緒に出ている芸人は自分のお子さんを避難させているのに、おしどりのファンの子供たちを品川の劇場に集めるということに矛盾を感じたので、お客さんたちに自分が調べたこと、気をつけた方がいいということを伝えようと思った。誰かに何かを伝えるにはテレビや新聞ではなく、一次情報にあたらなければいけないと思い、インターネットで東京電力の記者会見を見ることにした。

当時どれだけすごい数の人が東京から逃げていたか、報道関係者も取材して知っていたのに、そのことはどこのテレビ局も流さなかった。後になって、そのことを告白し、おしどりに謝罪してきた報道番組のディレクターとも仲良くなった。

当時の不定期で長い東電記者会見をできるだけ書き起こし、勉強し始めたが、そうするうちに、テレビでライブ映像として流れる記者会見は、本当のライブより1分程遅れて流され、突っ込んだ質問が出た時など、肝心なところが放送されないようになっていることに気づいた。その遅れは放送事故を防ぐ為のものだと他の記者から聞いた。(突っ込んだ質疑は放送事故?)ずっと手を挙げていても当たらない記者がいて、たまに当たって突っ込んだ質問をすると、ほかの記者からやめろとやじが飛ぶ。知りたいと思う質問をしてくれる人(フリーランスや週刊誌の記者)がやじられるので、加勢しようと思い4月から記者会見に行くことにした。当時は毎日100人ぐらいの人が取材に来ていたが、今は激減しておしどり以外3人という日もあった。

大手の記者は人事異動があるので来なくなるし、フリーランスもほとんど来ていない。当時のことを知る記者がいないのであまり質問が出ないし、記者がふわっとした質問をすると、当時のやりとりを把握していない東電の会見者が都合のいい返事をしたりする。違っている時にはおしどりが突っ込みを入れるので、ご意見番のようになってきている。

《被曝の影響》

原発事故に関係する様々な委員会、検討会で取材者、傍聴者が激減する中、今唯一増えているのは福島県「県民健康調査」検討委員会(福島県立医科大が国の委託で福島県民の健康を調査してその結果を発表している)。おしどりは2011年に初めて一般公開された第4回から取材している。当時記者は15人前後、傍聴者は5人前後だった。2015年後半から増え始め、今は記者が50〜100人、傍聴者も100人近く、海外メディアも来ている。傍聴に来る地元の方に理由を聞くと、近所や学校で病気の人が増えているから何が起きているのか知りたくて聞きに来たという。記者の人数が増えたため、質問は一人一問で時間が来たら終わりなので、地元の人から質問を託される。昨年6月、3人から偶然同じ質問を預かった。運動部の子の方が甲状腺癌、白血病などの病気が多い気がするので、さまざまな疾患での運動部と文化部の割合を聞いてほしいというもの。(事故直後、文科省は3.8μSv/時未満なら校庭で体育や部活をしてもいいという指示文書を出した。一方2012年に除染作業員を守るために厚労省が作った法律では気をつけるべき特定線量下業務とは2.5μSv/時を超えるところ。)検討委員会でこの質問をすると、プライバシーの為調べませんといわれた。また部活動をやめたり、卒業後病気になったとしてもそれはデータに残らない。外仕事、農家の方も傍聴に来る。奇形の野菜を持って来た人は、30年農業をやってきてこんなおかしなものができたのは初めてだという。その方自身も甲状腺癌になって摘出手術をしたし、親戚や身の回りの人にも甲状腺癌が数人出ている。病院は病室が足りないほど混んでいて、お見舞いの人でいっぱいだった。野菜が売れないということ以上に農家の被曝に誰も責任をもたないことが問題。それをもっと議論してほしいと農家の方は言う。福島県農民連の政府交渉では、農業は自営業なので放射線管理区域という概念は当てはまらず自己責任という返事。避難解除になる前に放射線対策をしてほしいといっても、セシウムと共存しながら工夫して生活して下さいと言われて農家の方も怒っている。このような状況で農業を再開できるはずがないのに、農業をしないと賠償されないシステムになっている。また先祖代々の土地と自分の健康を天秤にかけて手放すことなどできないという人もいる。農家の方もこれは風評被害ではなく実害だと言っている。

《汚染ごみのゆくえ》

今だに東北、関東のあちこちに汚染ゴミのフレコンバッグが置かれている。フレコンバッグの耐用年数は3〜5年。雨ざらし、陽ざらしで中から雑草が生えて来るという状態。国が2014年に中間貯蔵施設を作って放射性物質が入ったフレコンバッグを一箇所に集めるよう各県に要請した際、福島県のみが条件付きで受け入れた。その条件とは30年後に福島県外に最終処分場を作り、そこに全ての放射性廃棄物を移動させるというもの。国は要望をのみ、JESCO法という法律に明記された。しかしあまりにその量が膨大なので、減量するために汚染土を再利用しよう、という超ウルトラCな考えが出て来た。

2015年7月から中間貯蔵除去土壌等の減容・再生利用技術開発戦略検討会が始まった。汚染土の上に盛り土して、土で土を遮蔽するというが、雨が降れば地下水が汚染される懸念がある。2015年の議論では、再利用される場所は工業用地、堤防、線路などだったが、今年の3月から緑地というのが出て来た。去年の4月に汚染土壌の再生利用を全国の自治体の公共事業として進めることが決まった。環境省の方に自治体の公共事業の緑地とは何かと聞くと、公園のことと言われた。この議論はずっと非公開で行われていたが、おしどりが情報開示請求をし、去年の8月に資料を手に入れた。日本のもともとの再利用してよいクリアランスレベルはセシウムは100Bq/kg以下。数千Bq/kgのものは原子力施設の敷地内に50年保管、管理することになっている。その法律との整合性はどうなるのかと思っていたが、この資料には、8000Bq/kgまでの汚染土を再利用するのは「新概念」と書かれている。

(国が法律違反する場合は新概念!?)100Bq/kgまで放射線が減衰する数百年後まで管理が必要なので、自治体ならなくならないだろうという前提で行う。このような処分方法をしている所が他にあるのか調べたところ、この検討会の指針に「世界的にも前例のないプロジェクト」と書かれていた。

福島県南相馬市で汚染土壌再生利用のモデル実験をし、これをもとに住民向け、自治体向けの手引きを作って、今後十年を目処に全国で再生利用を推進して行くという。先月初めてこの実証実験をやっている場所が公開されたが、市の意向で8000Bq/kg ではなく3000Bq/kgで実験をしていた。この検討会の記者会見に来ているのは環境省記者クラブとおしどりだけ。今は自治体が手を上げやすくするための政策を練ったり、反対が起こらないように国民をどう啓発していくかという議論をしている。反対の声がないのでこんなことがどんどん進んでしまう。

《ドイツのこと》

2014年からドイツの原子力に関する国際会議に呼ばれている。その前後に近所の学校にいって原発事故の話をしているが、ドイツの学生が日本の原発事故のことにとても詳しく、興味があることに驚かされる。国会事故調と政府事故調の報告書をwebの英語版で読んでいる人も多い。なぜそんなに興味があるのかと15〜16歳の学生たちに聞くと「大人になった時にどうすれば第三次世界大戦を起こさずに済むか、それを根底に全ての科目、歴史、外国語、エネルギー政策、外交問題などを学んでいます」「生物の研究をしたくて」「医師になりたくて」など理由はそれぞれ。政治にもすごく詳しくて、中高生でも支持政党が決まっている。また日本の報道の自由について、マスコミの立ち位置についての質問も多い。なぜこんなに質問ができるのかと学校の先生に聞くと、ドイツの教育は、質問をすること、発言をすることに一番重点を置いている。ドイツは民主主義の選挙でナチスのヒトラーを生み出したことをとても後悔していて、それが全ての政策の根底にある。おかしいと思っても意見を言わなかったことがヒトラーを生み出すことにつながったので、最後の一人になっても自分の意見を言う、そういう人間を育てることを教育の根底に置いているという返事だった。

ドイツにはアッセという古い放射性廃棄物処分場があるが、安全と思われていた処分地である塩の鉱山の地層が動いて地下水が入って来るようになり、麓の集落の地下水からプルトニウムが出て人々に白血病や癌が増えた。このアッセの問題がドイツが脱原発に舵をきった大きな要因の一つになっている。今も根本的な解決策はないというので連邦放射線防護庁のインゲ博士に「今後どういう道筋が考えられるのですか?」と質問すると「あなたは民主主義を知っていますか?」と返された。「民主主義は多くの国で採用されているシステムですが、最良のシステムではありません。ドイツは民主主義の選挙でナチスのヒトラーを生み出しました。愚かな市民であれば愚かな代表を選ぶのです。なので、民主主義の選挙を採用するときに重要なのは、愚かな市民であってはならないということ。市民がそれぞれ勉強して、調べて、考えて、判断をして、動かなければいけない。誰か偉い人、政治家、権力者、研究者の意見を待っている状況ではだめなのです。原子力も同じで、唯一の正解などないのだから市民が自分で調べて考えて議論をして、全員で選択肢を探していかなければならない。だから、今後どのような道筋があるのですか?などと質問してはだめなのですよ。」と言われました(笑)

(この後も楽しく勉強になるお話が続きましたが、紙面の関係でここまでのご紹介とさせていただきます。おしどりマコさん、ケンさん、本当にありがとうございました! 文責 石井暁子)

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