広場だより17号 巻頭寄稿文 「福島原発事故の実相について」

ハカルワカル広場お茶会特別企画 「福島原発事故の実相について」講演会

講師 佐藤和良氏

5月7日(土)1時より、アミダステーションにて、福島県いわき市の前市議・佐藤和良氏をお招きし、「福島原発事故の実相」について講演をいただきました。講演の要旨は次の通りです(特に印象深かった点をまとめました)。参加者は65名(スタッフ10名を含む)の盛況。現地の生の声を届けてくださった講師の佐藤和良様と仲介の労をとられた小金井市議・片山薫様に感謝いたします。講演後、手挽きのコーヒーとお菓子をいただきながらの交流会も活発に意見が出され、大変好評でした。

*日本中どこでも地震と原発事故は起こりうる    明日は我が身

福島原発事故は他人事ではなく、日本列島の活断層が活動期に入っている今、地震は日本のどこにも起こりうる。そこに原発があるのだから、原発事故も起こりうる。特に、熊本大地震は中央構造線に沿って起きており、伊予灘を超えると伊方原発があり、西の先端に川内原発がある。非常に危険である。歴史的にみると平安時代の貞観地震や秀吉の時代の慶長地震などの歴史地震に学ばねばならない。

*福島原発事故の背景

私(佐藤)自身は事故の前から脱原発ネットワークに参加していた。原発事故の直後、菅首相が「原子力緊急事態宣言」を出したとき、背筋が凍ったことを覚えている。メルトダウンが起こったと思った。そして、福島に残り、最後まで見届けようと覚悟した。原発の背景には貧困と差別がある。原発立地の浜通りは、「東北のチベット」と呼ばれていた。その地域が原発立地として選ばれた。原発が来れば冬場の出稼ぎはなくなると言われた。「安全神話」がそれを後押しした。命よりカネの論理が働いた。

*事故から6年目の現状

事故原因の真相は今も解明されていない。今も原子力緊急事態宣言は解除されていない。事故は収束していない。毎日、1368万ベクレルの放射性物質が大気中に放出され、アルプスという多核種除去設備でとりきれないトリチウムなどは海に放出されている。原発労働者の被ばくも深刻な問題である。

*放射能安全神話により、帰還を強いられる被害者

「原発安全神話」は「放射能安全神話」に変わり、年間20m㏜までは安全だとし、福島への帰還が強いられている(他の国民の被ばく許容量は年間1m㏜なのに、福島県民だけが20m㏜を強いられるのは憲法違反ではないか?)。2017年3月で住宅無償提供の打ち切りと、避難区域指定の解除が行われる。棄民政策である。国は、東京五輪までにと復興を急ぎ、福島原発事故はなかったことにしようとしている。福島原発事故は全国で「風化」し、加害者は「居直り」、被害者は「疲弊」している。故郷を追われた避難者は10万人、汚染地で暮らす福島県民は190万人にのぼる。また、甲状腺がんの多発、急性心筋梗塞による死亡率は全国一位である。健康被害の広がりはこれからであろう。

*声を上げ続ける被害者たちの闘い

これだけの事故を起こしながら、誰も責任をとっていない事実に、福島原発事故の刑事責任をただす福島原発告訴団の発足があった(2012年3月)。2013年3月不起訴となったが、検察審査会が二度の起訴議決をし、16年2月強制起訴へ持ち込んだ。同時に全国で東電への損害賠償請求訴訟が起こされた。この訴訟団やADRの申立団、告訴団などを結び、原発事故被害者団体連絡会(ひだんれん)が設立された。1.被害者への謝罪 2.被害の完全賠償、暮らしと生業の回復 3.被害者の詳細な健康診断と医療保障、被ばく低減策の実施 4.事故の責任追及 を目標としている。

*結び    これからの課題

これからはカネより命の時代、廃炉の時代になると思う。内部被ばくを低減するために市民放射能測定室活動が行われている(いわき市の「たらちね」など)。食品・全身測定と甲状腺検査の継続、検診センターの開設準備も進んでいる。原発事故被害者を救済する全国運動(100万人国会請願署名を秋の国会へ)もおこなっている。原発事故被曝者援護法の制定−−被曝者健康手帳の交付、健康診断・健康被害の予防・治療を国の責任で行うことを求めていく。中長期的目標の脱原発ではなく、即時・無条件の原発停止と廃止が必要である。

大地動乱の時代である現在、原発は今、そこにある危機である。エネルギー問題ではなく命の問題である。そして、このような問題を解決するには、原発推進が国策として行われている以上、政権を変えるほかはない。7月10日の選挙が大切だと思っている。(西田)

~福島の声を聞いて~

 佐藤和良氏の講演で最も心に響いたのは、東京に住む私たちも、単なる支援者ではなく当事者なのだということでした。熊本の大地震は、日本中どこでも、地震と、ひいては原発事故が起こりうることを実感させました。福島の被災者の方たちの苦しみを、他人事ではなく明日は我が身の問題として感じないわけにはいきません。

 私たちにできることは何なのか。今回のように現地の方たちの声を直接聞く機会を設け、交流を深めていくこと、そして、現地の実情を理解することが大切だと思います。具体的には、原発事故被災者を救援する全国運動の署名活動支援や、検診センター設立などへの協力、福島の土壌測定への協力など、福島の方との交流を通してやるべきことが見えてくると思いました。(西田)

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ハカってワカった話16号 2015年のまとめデータから

2015年のまとめデータから

二宮 志郎

昨年一年間の測定データをまとめて、開室以来のデータに合わせて4年分のデータをまとめてみました。測定値に関しては、「土」、「きのこ類」、「きのこ除く食品」の3つのカテゴリーに分けてまとめています。

測定検体数はなんとか月30を維持

グラフ1に4年間の月別測定数の変遷を示しています。年間で平均にした数字の年別変化がグラフ2です。

昨年の同時期に「測定数の減少はなんとか底打ちにさせて、その底の部分の数字を息の長い活動で支えていけたら…」ということを書いたのですが、なんとかこの1年は支えることができたようです。1ヶ月あたりの測定数で、2014年の37から2015年は35と、微減と言える範囲にとどめています。グラフ3で検体種類別の測定検体数に注目しても、その傾向は覗えます。

「きのこ除く食品」が3年間一直線に減ってきていただけに、この種の測定がほとんどなくなっていくことが危惧されていましたが、2015年の結果ではその傾向を逃れることができています。

ただ、「きのこ除く食品」は、Cs134検出率が4%にまで下がってきていることと、検出されても限界値近辺の微量でしかないという事実があります。私達は、観察した事実をありのまま伝えていきますから「食品の安全性が心配だから」ということでの測定依頼が減っていくことは間違いないでしょう。2016年にどのくらいの測定依頼があるか、あまり楽観的な見通しはできないと言えます。

土の高い検出率は変化なし

グラフ4を見れば土に関するCs137の検出率は90%前後でほとんど変化していません。放射性セシウムで汚れた土が身の回りにあることに関しては、誰も否定できない事実です。後は、それをどう受け止めて、どう考えるか、という様な問題になってきます。そういう意味では、「測定」という行為が占めていた重要性が小さくなってきているのは否定しがたいところです。

土の測定には、「福島原発事故による放射能汚染があったことを忘れない」という点では引き続き大きな意味があります。理屈ではわかっていても、実際に「いかに減らないものであるのか」ということを実感するには、身近なところにある土を測定してみるのが一番です。ハカルワカルでは引き続き身近な場所の定点測定を呼びかけていくつもりです。

土の検出値平均が上がってしまった謎

最初の2年間は、汚染の高いところを探して測定依頼しに来る傾向が強かったため土の検出値平均が高く出ていたようでしたが、それが終わって2014年ころからは同じようなレベルの数字で推移するだろうと見ていました。グラフ5を見ると、2015年の結果は2014年に比べて2倍近い高い数値になっていることがわかります。細かくデータを調べると、汚染値の上位10検体程度がかなり高めの数値であったために平均値を上げてしまったようです。

「汚染の高いところを探してもってくる」という傾向が復活したとも見れますが、検体数が少ないので「たまたま」そういう結果が出たと見ておいた方がいいでしょう。

「測定」という行為の持つ意味がいろいろ変わっていくのはいいのですが、「脱原発」が遠のく一方なのが何とも悲しい限りです。「どこかで流れは変えられるはずで、変えるのは私達である」、昨年の「核分裂過程」上映会でも学びましたが、あきらめないことですね。

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広場だより16号 巻頭寄稿文 映画『核分裂過程』

映画『核分裂過程』の上映はこうして始まった

小林茂樹・大木有子

 『核分裂過程』に出会ったのは28年前。ある映画祭の受賞作品の1本として友人と見て、大変な感動とショックを受けた。フィルムを借りて「原発とめよう2万人行動」の日の夜に上映会を開いた。1988年4月、チェルノブイリ原発事故の実態が日本に伝えられ、「原発止めよう」の声が全国にうねりのように広がり、1万人と呼びかけた日に2万人が日比谷に集まった日だった。反響が大きく、上映の問い合わせを何件も受けた。しかし版権がないのでフィルムはドイツに返されてしまった。青森県六ヶ所村には映画と同じ再処理工場が建設されようとしている。自分たちで映画を輸入し上映活動をしようと考えた。

資金は全国の反原発脱原発のグループや個人から借りた。監督に直接思いを伝え、非営利上映権を得ることができた。字幕は7人のメンバーが、それぞれ自分の魅かれる言葉を発する登場人物を担当した。監督の知り合いで大学のドイツ語の先生も協力してくれた。一つ一つの言葉について話し合い、半年余りをかけた。映画の力が全てを支えた。

再処理工場に反対する中で、自分の殻を破り変わっていったヴァッカースドルフの人々。民主主義とは何かを問い、言葉を紡ぎだす。その姿は普遍性を持って私達の心を揺さぶった。そして支援の若者たち。数万人のデモ。その運動の豊かさに目を見張った。なぜ、あのような運動が可能になったのだろう?ヴァッカースドルフの運動には、1970年代から始まるドイツ反原発運動の歴史が息づいていた。また戦争責任と向き合った戦後ドイツの歴史も反映されていた。

『核分裂過程』の原題は“SPALTPROZESSE(分裂する過程)”。核の分裂と人間社会の分裂・分断の両方にかかる。工場を取り囲む「鉄柵」は分断の象徴である。映画が作られたのは鉄柵が張り巡らされ州政府の弾圧が激しさを増す時期だった。けれども、人々も映画もありったけの想像力でその鉄柵を超えようとした。

1989年、字幕作りの最中に「建設中止」のニュースが入ってきた。そのニュースを携えて、映画の上映を開始した。映画を観た人が次は自分たちで上映会を開く、という形で『核分裂過程』は「連鎖反応」するように全国で上映されていった。

『核分裂過程』意見交流会概要

司会:下笠  パネリスト:小林、大木、花澤、金剛寺、久保井、石井、槌谷、鵜飼

花澤:今の日本とぴったり合っている映画が、30年も前にあったということが信じられません。民主主義ってなんだ?という今にぴったりの言葉が出てくるし、沖縄、原発の再稼動、戦争法、全てが当てはまる感じがして、鳥肌が立つような思いで観ていました。

金剛寺:原子力の問題というのは結局、政治の問題でもあると思うので、普通の市民が立ち上がったから止められたというのも大きいと思います。

久保井:奥様方のしたたかに権力と闘う感じに共鳴しました。原発反対、戦争法反対というのではなく、これは私たちの平穏な暮らしを守る「権利のための運動なんだ」ということを周りに伝えて行けばいいのかなと思いました。

石井:映画の中で「こんなの独裁民主制だ」と言っていましたが、まさに今、独裁民主制に私たちは生きているのではないかと思います。テレビは本当のことを伝えないとわかり、大事なものが何かわかったら、闘わなければいけないのだと思いました。

槌谷:最後の3分で、工場建設が止まった原因が、フランスに再処理に出した方が安いという金の問題だとわかりましたが、事実は市民の運動で止めざるを得なくなったのだと思います。結果としてドイツは今、原発を止めるという話です。それが日本ではやっと今、動き始めた。

鵜飼:よく、ドイツに学ばなくてはいけないと言われますが、今のドイツというよりも、この頃のドイツ、原発推進で、平気で民衆を弾圧していた、そういうドイツが実は30年前にあって、でも住民たちは立ち上がって、言う通りにはならなかった。その闘いがあって初めて、今のドイツがあるのだということを実感しました。

会場:質問です。フランスの再処理工場から今度は北ドイツのゴアレーベンの最終処分場に廃棄物を運ぶにあたって激しい反対運動が起こっていますが、ドイツ各地の核施設からの廃棄物をフランスに搬送するにあたっての住民の反対運動はまだ続いているのでしょうか。

小林:ゴアレーベンの反対運動が始まったのは1970年代です。その頃から4万人ぐらいの人たちが街頭に出たり、線路に寝そべったりして通さないなどの活動を、今でもずっと、子供の代まで続けています。

大木:ドイツでは再処理はしないということを決定したので、今はドイツからフランスに使用済み核燃料を送ることはやっていない。ただ、すでに送られているものは返ってくるので、それを止めているということです。

小林:この映画はヴァッカースドルフの再処理工場のことを描いたのですが、それ以前からドイツでは各地で原発反対の運動が続いていました。1975年頃、ヴィール村で反対運動が始まり、ブロックドルフ原発や他の原子力施設候補地での反対運動の蓄積があって、その流れの中で再処理工場建設が止まり、次にカルカーというところの高速増殖炉も止まった。

下笠:ではここから、何ができるのか、どういう行動ができるのかというテーマに移ります。

大木:ヴァッカースドルフで行われていたのは直接行動です。投票によって議員を選ぶことは重要ですが、それで全部任せてしまうということはしない。選んだ議員、政治家たちが自分たちの生活を脅かすようなことをしている時には、それに対して異議申し立てを表明する、直接的に訴えるということが重要です。また直接行動だけではなく、自分たちの中から議員を送り出して、いろいろな形で議論する場に自分たちの意見を反映させていく行動も行う。ドイツではその両方のことをずっとやってきた。直接行動の中では、例えば外から来る人たちをどう受け入れるか、若い人たちが暴力的になっていく、そのことを地元の人たちはどう考えようか、それがマスコミに取り上げられた時にどうやって守っていくか、そういうことをとても真剣に考えて、一つ一つ議論する中で答えを出して積み上げ、そういう蓄積を、外にも伝わるような形で行ってきた。そのことを、私たちはもう少し学びたいと感じました。

小林:一人一人が自分の中にあるものをやるしかないと思います。映画の中に抵抗権(注)という言葉が2回ほど出てきましたが、これは1968年に初めてドイツ基本法に付け加えられた。その頃何が起こっていたかというと、日本では学生運動、パリの五月革命、プラハの春、世界の若者たちが動き出したその時期に、ドイツ基本法が改正されて抵抗権が入った。それと同時に緊急事態法、つまり国に何かがあった時に市民の自由を拘束できるものとセットになっていたということはちょっと考えた方がよい。だからこそ映画の中で市民は、これは抵抗権の問題なんだ、つまり自分たちの存在を脅かすようなものだ、というのだと思います。
(そのほか会場から、いろいろな活動のご紹介やご意見をいただきました。)

下笠:一人一人が行動し、続けるということが大事なのだと思いました。上映の最後にも出てきましたが、「何もできないなんて思わないこと」、この言葉を忘れずに今後活動していきたいと思います。

(注)ドイツ『抵抗権』ドイツ連邦共和国基本法第20条4項(1968年6月の改正で追加された)
政府が憲法と国民に背き、これを正す手段が他に一切ない場合に国民は抵抗権を発動できる。

(ドイツでは、ナチ党が基本的人権保護規定を無効化し、憲法体制を崩壊させた反省から「戦う民主主義」の概念が生まれた。1968年、西ドイツでは学生、市民、労働者による既存の政治体制に対する大規模な抗議運動が起こり、戦う民主主義の実現理念として抵抗権が基本法に明文化された。)

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広場だより15号 巻頭寄稿文 自然エネルギーを「選び取る」社会へ

自然エネルギーを「選び取る」社会へ、一般家庭の電力自由化を考える

佐々木晃介

あの歴史的な地震・津波、原発事故の大災害から、4年が経ちました。国民一般の意識の中で、福島原発災害は忘れ去られようとしていますが、原発事故はまだ終わっていません。放射能の影響はこれからもずっと続きます。放射能は目に見えないばかりでなく、放射線の人の健康に及ぼす影響や汚染の拡散は私たちを言い知れぬ不安に陥れています。

東京電力福島第一原発事故は、日本のエネルギー政策の積もりに積もった「過ち」の結果といえます。軽んじられた安全規制や核廃棄物問題、意味もなく続けられる核燃料サイクルなどさまざまな「宿題」が置き去りにされ、国の原発への固執こそが、エネルギー安全保障や気候変動問題、電力システム改革などを阻害する要因となっています。

私たちは、過酷な原発事故により、目覚め、その「過ち」に気づきました。

この10年、世界では、環境エネルギー分野は「大転換」の時を迎えています。
資源的に石油がすでに「生産ピーク」を超えつつあり、他方で、世界の風力発電は原発の設備容量と肩を並べ、太陽光発電は原発の半分に達し、3年後には追い越す勢いです。「自然エネルギーは高い」は、すでに過去のものとなりつつあります。

もう一つの「大転換」は、大規模・集中・独占から、小規模・地域分散・ネットワーク型へのエネルギー体制のシフトがあります。本来小規模分散技術である自然エネルギーが低コスト化するにつれて、ご当地エネルギー会社や個人/地域でエネルギーを生み出し、自立する動きが出てきています。どの国でも電力会社は独占巨大資本なので、この大転換は構造変化を伴う大きな社会変容となります。

いよいよ2016年4月には電力小売り自由化、誰でも電力会社を選べるようになります。
2000年から始まった電力自由化がやっと一般家庭にまで及ぶことになります。

原発事故により目覚めた私たちは、どのようなエネルギー社会を目指すのでしょうか。
(1)原子力発電所を全廃する
(2)エネルギー大量消費社会から脱却する
(3)自然エネルギーを飛躍させ、分散型エネルギー社会を作る
(4)化石燃料依存から脱却し、気候変動を抑止する
(5)日本や世界の様々な環境破壊やエネルギー紛争の解決を目指す

一般家庭で電力会社が選べる、これは初めての画期的な出来事です。

それに備えて、原発の電気を買いたくない人に自然エネルギーを届けようと、小売電気事業を準備している会社や生協があります。ところがここに来て、自然エネルギーの電気だと言って売ってはならない、自然エネルギーも原発の電気も石炭火力の電気も、電気は電気、どれも同じものとして扱うという制度を国(経産省)が作ろうとしています。

私たちは、脱原発に向けて自然エネルギーを「選び取る」社会にしなければなりません。

ハカルワカル広場では「自然エネルギーのデンキエラベル勉強会」を7月と9月に行いました。
大勢の方に参加いただき、質問も活発で自分で「選び取る」強い意思が感じられました。
第3回は、12月12日(土)10:00~12:00を予定しています。
小売電気事業者登録状況、自然エネルギー会社紹介、料金システム、制度の問題点を勉強します。

  • 小売電気事業者は電気契約の際に電源構成の内訳の説明義務があります
  • 再生可能エネルギーなど、環境に優しい電力の購入ができます(小売電気事業者に確認)
  • 電源表示は、「FIT電気(固定価格買取制度で交付金を受けた再エネ電気)」は可、「グリーン電力」、「クリーン電力」、「きれいな電気」等の表示は不可

登録小売電気事業者 10月26日現在  48社(資源エネルギー庁ホームページより)
自然エネルギー供給をめざす電力会社紹介 5社(パワーシフトホームページより10/13現在)
自然エネルギーへの転換のために

  • 規模別太陽光発電や洋上風力発電などに対して新たな調達価格の区分を設ける。
  • 小売電気事業リスクを低減し資金調達や小売事業の運用を容易にするために制度を改善する。
  • 調達価格を定めるために必要なコストデータを着実に集積し情報公開を行う。
  • バイオマス発電について、規模や使用する燃料種別等によるきめ細かい条件を定める。
  • 発送電分離や電力取引を視野に、公共インフラとしての送電網への自然エネルギーの優先接続や優先給電を実現し、系統の増強・出力変動への対応などを積極的に行う。
  • 中長期的な自然エネルギー導入の目標を掲げ、実効的な自然エネルギー政策を行う。

最後に、公害による環境問題に関心を寄せ、成長優先の政策を批判し、効率重視の過度な市場競争は格差を拡大させ社会を不安定にすると論じた経済学者の宇沢弘文さんの「豊かさを支える社会システムとは」を掲げておきます。

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ハカってワカった話15号 減っているのかセシウム土壌汚染

減っているのかセシウム土壌汚染

二宮 志郎

ハカルワカルの呼びかけに応じて、身近な場所で土壌の定点測定を継続してくださっている人達がいます。おかげで、原発事故の影響が継続していることを実感するための貴重なデータ採取が可能になっています。今回はそのようなデータに注目してみたいと思います。

上のスペクトルは八王子市小比企町の2012年
5月(赤線)と2015年10月(青線)の比較です。この間に約3.4年が経過しており、それはセシウム134の半減期の1.7倍になります。その場合のセシウム134の減衰量を計算すると31%になります。796keVのピークは赤線の盛り上がりに比べて青線の盛り上がりは3割程度に減っているように見えます。また605keVのピークは赤線の方ではふたこぶになっている山の左側の位置ですが、青線の方ではこぶが見えなくなっています。3割程度に減って、右側の山の斜面に隠れて見えにくくなっているのだと理解できます。

一方セシウム137の方を同じ期間での減衰量を計算すると92%ということになります。1割程度減るかどうかというところですが、662keVのセシウム137ピークの場所で赤線の盛り上がり部分と青線の盛り上がり部分のヘリ具合はちょうどその程度に見えます。

結局この地点の放射性セシウムの減衰はほぼ物理的な半減期に従っているように見えます。この調子で行くと、現在2000Bq/kg程度あるセシウム137の汚染は30年後にも1000Bq/kg程度残ることになります。

上のスペクトルは千代田区の公園の土を毎年測っている4年分のデータを重ねています。
緑→黄→赤→青 の順で1年間隔で経過しています。数値変遷を括弧内前年比とともに示すと
Cs137:377→286(76%)→208(73%)→194(93%)
CS134: 302→166(55%)→92(55%)→63(68%)
のようになります。物理半減期に従うならCs137は毎年98%に、Cs134は71%に減っていきます。

最初の3年間は物理半減期よりかなり早いペースで減ってくれていたのに、去年から今年にかけては物理半減期に近いペースに減速しています。
おそらく、細かい粒子に付着していたセシウムは雨水が流れる度に細かい粒子の流れと共に少しずつ持って行かれて、そのおかげで物理半減期より早く減っていたのでしょう。そういう細かい粒子が流れ尽くしてしまって、残った付着分は雨水の流れで減ることがほとんどなくなり、物理半減期に近づいてきているのではないかと思われます。

こういう現象があちこちで起こっているのではないかと思うのですが、それを調べることができたのは4年間の定点測定のおかげです。

もう一箇所データを見てみます。
上のスペクトルは新宿区の公園の土で、去年の7月(赤線)と今年の9月(青線)の比較です。ほとんど重なるスペクトルですが、セシウム137を示す662keVのピークは青線の方がむしろ上に来ています。去年に比べて増えているということになります。
測定値でも
Cs137:333→394, Cs134:130→108
となっています。Cs134の数値は減っていますが、物理半減期に従うと1年2ヶ月経過すると130→87程度に減っているはずで、108との差の21は、その程度増えたと考えるのが妥当でしょう。
「増える」ということはあり得るのでしょうか。

それは、私達が「微量放射能漏れ監視プロジェクト」で雨樋の下に置いたゼオライトが毎月汚染値を増やしていることを考えれば、十分あり得ることだと理解できるでしょう。

再浮遊・再降下という形で日々降り注いでいる放射性セシウムは微量ではありますが、集積させて吸着させていくとかなりの量になっていきます。
「再降下の影響で新たに集積する分」ー「再浮遊で出て行く分」ー「流出による減少分」ー「物理半減期による減少分」
この結果がプラスになれば増えることになります。

おそらく新宿区公園の検体を採取した場所は少し窪地になっているとか、何か再降下してきたものを集積しやすい状況になっているのでしょう。

結局、全体で考えれば、物理半減期で減る分以外は単に移動しているだけです。物理半減期より早く減ってくれるところがあれば、早く減った分はどこかに移動しただけの話です。その移動した分を引き受けた場所では、物理半減期より遅く減っていったり、場合によっては増えたりするということになるわけです。

生み出してしまった放射能との付き合いは決して逃れられないですね。

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広場だより14号 巻頭寄稿文 金八デモはいま

金八デモはいま

毎週金曜日の午後6時。京王八王子駅近くの船森公園に思い思いに人が集まってきます。原発反対金曜日八王子デモ、略して金八デモの皆さんです。30分の集会の後、駅周辺を約40分、「原発なくたって」を歌ったり、「原発反対!」「安心して、きのこが食べたい」とコールしたり、手作りの風車を掲げたり、プラカードを持ったりして歩きます。「原発をなくしたい」との思いから、自分の意志で集まってくる人たちです。

金八デモは、ハカルワカル広場の有志が呼びかけて始めましたが、今は実行委員会が主催しています。ハカルワカル広場はホームページを担当、また、連絡場所を引き受けて協力しています。2012年9月14日が第1回。3年近くになります。「原発ストップの兆しが見えるまでは続けよう」と決めて、続けていますが、一向にその兆しは見えません。それどころか、福島原発事故はなかったかのように、原発再稼働への準備が進み、人々の関心も薄らいでいます。そんな中、金八デモを続けている皆さんのお気持ちを聞きたいとハカルワカル広場のお茶会で「思いのたけ」を話してもらいました。(西田)

<2015年6月6日 金八デモ参加者とハカルワカルボランティアの交流会>

西田:昨日で金八デモは125回目でしたが雨で中止となりました。金八デモにどのような思いで参加されているのか、その思いを語ってください。

M.Hさん:金八デモ実行委員会で実行委員をしています。これまで124回中120回くらい参加している。みんなで声を上げるのが性に合っている。時々、測定結果のデータを金八デモで報告して欲しい。

H.Tさん:北野に22年住んでいる。金八デモにも時々参加している。

S.Iさん:官邸前に行っていたが、昔と違い、組合動員とかではなく、個人の意思で参加しているところが今は違う。デモを企画するのは大変だと知っている。来たことのない人を誘っているが、なかなか来てもらえない。

K.Yさん:原発の爆発、その後の対応を見て、こんな連中にまかせてはおけないと思い、デモに参加しはじめた。自宅の浸透ますの汚泥を測定し(8000ベクレルあり)、原発の恐ろしさを実感した。

M.Kさん:津波の後、不謹慎かもしれないがこれで社会が変わると思った。そしてデモも政府のやることも変わってきたが、時間が経つと忘れて行く。今の社会に不満を持つ人が増え、集まる機会が増えれば希望がもてるのではないか。

T.Yさん:国会前に行っていたが、遠くて毎週は行けないので、金八は近くて助かる。金八デモを外に向けて発信することも大事。横浜や横須賀でもデモを続けている。それぞれ自分の地元でやることも大切だ。

K.Yさん:参加のきっかけは「秘密保護法」から、安倍政権に絶望と怒りを感じて。自分にとって金八デモは精神安定剤。腹の底から大声を出す。マスコミは萎縮しているが、金八デモには萎縮しないでほしい。女性4人のコールが素晴らしい。

Y.Kさん:初めは国会デモに行っていたが、続けるのは大変。金八デモには気軽に参加できるよさがある。続けているのは原発反対の気持ちを持続するため。気持ちはあっても参加できない友人の分も。楽観視はしていないが考えて行動していく。

A.Hさん:金八デモに初めのうちは何回か参加していた。

M.Oさん:運動を広めてゆくにはそれぞれの地元でやるのがいい。原発に始まり、「標的の村」を見て沖縄への関心が深まった。今は「辺野古に基地を作るな」とコールしている。北海道に帰るが、アイヌのこともようやくわかってきた。

Y.Uさん:母の親友も広島で被爆した。原発があると事故があると思っていた。アイヌを滅ぼした日本人の私である葛藤。だからデモに行き、絵を描く。

K.Aさん:デモの動画撮影という立場で参加している。罵声では外の人に響かないので、肯定的な言葉を使ってもっと外に伝わるように努力してほしい。

二宮:こんなにもいろいろな思いが金八デモを支え続け作っていることが分かった。毎週やっている人に頭が下がる。原発をなくすためにいろいろなことをやっていかねばと思う。

西田:新しい方が入ってくるととても嬉しい。原発反対の思いを可視化する役目が金八デモにはある。デモに対するハードルがあるようだが、それを超えられるような工夫が必要だと思う。最近はデモ行進のときの周りの反応がよくなったと感じる。
次に、実行委員のお一人であるイズミコさんにお話をうかがいました。

<2015年7月2日 イズミコさんインタビュー(聞き手:石井)>

  • 参加者の人数はどのくらいですか?
    ――始めたときは200人、一ヶ月後に100人、その後少しずつ減り、今は30人から40人くらいで推移しています。お花見デモには100人ぐらい来ました。
  • どんなコールをしながら歩くのですか?
    ――なるべくわかりやすく、子どももわかるくらいの言葉を使ったほうがいいかなと思い、「自然を守ろう」「安心して野菜や魚が食べたい」「原発事故は終わってない!」「原発なくても電気は作れる」など。最近は「沖縄とつながろう」「戦争する国絶対反対」などもあります。原発反対で始まったデモの団体なので、それ以外の新しい問題を入れるときは集会時に参加者のみなさんに聞いてみるのですが、問題の根本はつながっているので、だいたい同意していただいています。
  • デモにはいつも警察がつきますね。どのような手続きをしているのですか?
    ――デモは車道を歩くので警察に届け出をしなければなりません(都の交通条例)。毎週一週間前に書類を提出するのですが、その書類は手書きでなければなりません。しかも警察に行って、警察官の前で3部、それぞれにデモのコースも手書きします。中止の時は、その日のうちに中止届を出しに行きます。それから、公園で集会をするために市から(実際は指定管理業者)使用許可証をとり、使用料を980円払います。
  • 金八デモの目的はなんですか?
    ―—原発事故がうやむやにされていることや、深刻な放射能汚染が現在も続いていることを沿道の人に考えてもらいたいと私は思っています。

ただ最近、週1回のデモという今のやり方を続けるほうが良いのか、月1回くらいにしたほうが良いのか、という二つの間で悩んでいます。デモは人数が多いほうが、やっぱり効果的だと思うから、人数を少しでも増やしたいというのが、その根本にある気持ちなのです。金曜日の夜6時という時間帯で、もし参加層が制限されてしまっているのならば、例えば土曜や日曜などの昼間などで月1回に絞って、そこに集結すれば今よりもう少し参加層が広がるのではないかとも思うのです。でも、毎週やっているからこそ、都合の合う時にいつでも参加できるし、また毎週コツコツ続けて、訴え続けているということを高く評価してくださっている方もたくさんおられます。だからその間で現在悩んでいます。

どうしたら、もう少したくさんの人に参加してもらえるデモにできるのでしょうか?
デモで伝えたい問題は、原発問題以外にもどんどん増えてきて、どれもがとても深刻ですが、やはり、音や雰囲気で楽しく元気なデモにして、少しでも沿道の人たちに耳をかたむけてもらえるようにしたいのです。どうか、みなさんのお知恵をお貸しください。

イズミコさん、ありがとうございました。金八デモを続けながらも、そのやり方の面で迷いもあるということがわかりました。誰もが参加しやすい効果的なデモのあり方を考えるのは、これからの私たちみんなの課題ではないかと感じました。(石井)

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ハカってワカった話14号 「微量放射能漏れ監視プロジェクト」

「微量放射能漏れ監視プロジェクト」

二宮 志郎

今年の4月から「微量放射能漏れ監視プロジェクト」を始めました。空から降下してきた放射性セシウムが非常に高い率で濃縮される雨樋の排水口付近にセシウムを強く吸着するゼオライトを配置して、それを定期的にハカルワカル広場で測定することで、微量に降下してくるセシウムをとらえよう。というのが測定上の主な狙いです。

まずは地表にある放射性セシウムが再浮遊・再降下の現象でどの程度検出値に出てくるのかを把握して、その後は原発事故や核爆発などで新たな放射能が来たら、微量であっても確実にいち早くキャッチできる体制にもっていきたいと思っています。もちろん、そんな事態を期待しているわけではありません。「そんな事態と紙一重」のような状況に生きていることを忘れずに、そして「そんな心配のない世界にできることをあきらめない」ために、そういう思いがこもっているプロジェクトなのです。

現在17ヶ所の測定点にゼオライトが配置されていて、一回目の測定結果が出揃ってきた状況です。測定結果公開シートのリンクがホームページにあり、それを見れば詳細がわかります。

測定結果を見ると、かなりのばらつきが出ています。浜岡原発のある御前崎市は全く不検出、八王子市内でもいくつかの場所は全くの不検出、しかし出ているところではかなり出ています。Cs137だけで100Bq/kgを超えたのが東浅川町と西浅川町の2ヶ所でした。そのスペクトルは右上図のようになっています。このスペクトルは3本の線が重なっていて、西浅川、東浅川、そして初期測定(ゼオライトを配置する前に測定したもの)です。

西浅川Cs137:132Bq/kg, Cs134:35.8Bq/kg
東浅川 Cs137:141Bq/kg, Cs134:26.8Bq/kg

という検出値が出ています。Cs137,Cs134のピークは2本のスペクトルはほとんど重なっていて、同じような検出量であることを示しています。

100倍近い濃縮が効いているとするなら、1Bq/kg程度に表土を汚染するレベルでも、このくらいの数値は出ます。そういう濃縮がたまたま浅川を地名に持つ2ヶ所で出たということかもしれません。今後の測定の継続でさらに詳しくわかることだろうと思います。

この2ヶ所以外にも、元本郷 Cs137:70Bq/kg、横川町Cs137:46Bq/kg、散田町 Cs137:24Bq/kg、という具合に不検出との間に測定値の分布があります。

今までの測定結果ではまだあまりたくさんのことを語ることは難しいですが、放射性セシウムの「再浮遊・再降下」という現象は確実に起こっているということは言えるでしょう。

高い数値が出る場所は一貫して高いのか、季節による違いがどのくらい出てくるのか、そういうことを観察する上で2回目以降の測定値を見るのがとても楽しみになってきました。このプロジェクトにたくさんの人が参加してくれていることに感謝しています。継続して測定する手間は大変だと思いますが是非よろしくお願いします。またこれからでも新規に参加できますので、興味のある方はご相談ください。測定結果は毎月第一土曜日にハカルワカル広場で行っているお茶会での測定結果のおさらいの時にも紹介していくつもりです。

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ハカってワカった話13号 「キルティ ングジャケット表布」の測定結果

「キルティ ングジャケット表布」の測定結果

二宮 志郎

このページを読む前に、「維持会員の声」のページの日下さんの投稿を読んでください。今回はこの綿ジャケットに焦点を当てたいと思います。


維持会員の声

維持会員 日下 正彦

私の実家は岩手県奥州市にあります。美しい山脈に囲まれ、自然の恵み豊かな故郷でしたが、東京電力福島第一原発の事故以来、『岩手のホットスポット』と呼ばれるようになりました。汚染されてしまったふる里への無念と哀しみは筆舌に尽くし難く、各種データの現実を認識しても尚、変わらずに映る風景を前に、まさか、この美しい故郷が…と相反する心情が混在することも事実です。汚染された地域住民同士のわだかまりや『風評被害』と云う認識の相違も、単にお金や情報の問題だけではなく、厳しい現実とふる里、生業を愛する心の葛藤から生じているのかも知れません。人間そんなに強いものではありませんもの・・・。

―ありのままの事実を認め現実として受け入れる― 私にとってハカルワカル広場はそんな自分の曖昧さに課す修行の場のようにも思われます。

先日、綿ジャケットを測定して頂きました。震災前に購入し、屋外作業用にしていた服で、妻から相当被曝している筈だからもう捨てよう!と何度も言われていました。洗濯もしていたし、それ程でもなかろうと高を括っていたのですが、この冬、妻の更なる説得があり、どうせゴミに出すのなら切り刻んで計測してもらうのも良いかもしれないと、軽い気持ちで持ち込んだものです。結果はCs 合算で620Bq。ショックで言葉を失いました。私の中の『安全神話』に気づかされた瞬間でした。

『安全神話』は決して事故以前の化石ではありません。原子力ムラの人達は虚言が暴露した後も、新しい安全を説く『神話』を編纂し、私達にさらなる危険を押し付けようとしています。許容値だと云い海、空かまわず放射能を垂れ流し、食循環を危うくし、風下の街には子供を縛り付けるための学園を新設。そして根拠のない世界一の原発規制基準を流布し、粛々と再稼働や新設、輸出に邁進しています。とても許し難い事です。しかし忘れてはいけません。実は私達の心にも『安全神話』が鳴りを潜めている事を。雨風が強い日でもマスク姿が少なくなりました。スーパーでは食品表示を気にする人が少なくなってきた様に思えます。

「もう歳だから…」「お金がかかるから…」そんな心の隙間にこっそりと『安全神話』の悪魔は巣を構えるのです。敵は自分自身の中にも潜んでいたのです。

残念ですが汚染されてしまったこの土地が元に戻ることはもう無いでしょう。そして、その現実を把握しても尚、心身共に健全に暮らすための方法を模索するしかありません。あるエッセーにこんな言葉があります。

「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである。」
(吉田健一『長崎』より)

正直で美しい生活への執着を心がけたいものです。まずは、ハカルワカル道場に行き自分の足元をもう一度、見つめ直しませんか?お互いに…。ハカルワカル広場のスタッフの皆様、いつも被曝と隣り合わせの現場でご奉仕頂き、本当に感謝致しております。一人でも多く会員が増え、正しい意識が市民の日常に浸透する事を切に願います。

<維持会員の声>


測定結果のページの上から3番目「キルティングジャケット表布」の欄に測定結果があります。Cs137=470Bq/kg, Cs134=150Bq/kg で合算で620Bq/kg です。そのスペクトルを以下に示します。上のラインがジャケットのスペクトル、下のラインはバックグランドのスペクトルです。

綿ジャケットの表布にこれほど強くセシウムが残るというのは少し驚きです。スペクトルを見ると自然放射能成分が非常に小さいことに気が付きます。

ウラン系列、トリウム系列の自然放射能は、ラドンガスが表布に吸着されずに放出されてしまったせいで、ハカルワカルでは馴染みのビスマスや鉛が出てきていないのであろうと思われます。

一方カリウムの方は、洗濯とともに流れ去って表布に残留しなかったのでしょう。
セシウムの方は、洗濯しても離れないほど綿にしっかり吸着していたから、残留・蓄積を繰り返して620Bq/kg まで来てしまったのでしょう。

「セシウムは残留・蓄積を繰り返したが、自然放射能はしなかった」、スペクトルはそういう事実を示しています。そうか!と思って、去年測った予想外に高い汚染値が出たカーテン布のスペクトルを見直すと同じように自然放射能は低くセシウムだけ高いです。

放射能の話となると必ず自然放射能から始めて、「ほら、世の中はこんなにたくさんの自然放射能にあふれているのですよ」と教えてくれる人たちがいます。それはそのとおりです。しかし、このジャケットで起こったようなこともちゃんと説明して欲しいし、人間の体の中でジャケットの表布の様なことが起こらないことも説明してもらわないと困ります。

日下さんの投稿を読んで、一つ一つの測定には、単に結果の数字だけでは語りきれない、個々人の物語がその背後にあるのだということを痛感しました。「ハカってワカる」ということは、数値を越えて、その背後の物語まで含めて、その上で小さな理解を積み上げていく作業です。
「ハカってワカった話」などいうこの連載のタイトルは少しおこがましくて、本当は「ハカってワカりたい話」ということですね。

日下さんありがとうございました。測定された方の物語をまた聞かせていただければきっともっとたくさん「ワカる」ことができると思います。よろしくお願いします。

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広場だより13号 巻頭寄稿文 浜岡原発見学ツアーの感想

浜岡原発見学ツアーの感想

4月19 日、ハカルワカル広場主催により「浜岡原発見学ツアー」を実施しました。以下は寄せられた感想文です。今回のツアーはとても実り多いものになりました。参加者の熱意と伊藤実・眞砂子ご夫妻をはじめ、地元で反対運動をされている方たちのコラボの賜物です! 今後も交流を続け、共に浜岡を再稼働させない動きを作っていきましょう!
(感想文は紙面の都合により一部省略•要約•敬称略とさせていただきました。)

?最初に”浜岡砂丘”を歩いたとき、「浜岡原発」見学前の付け足しの遊びだと思っていました。
ところがこれが見学の重点の一つだったのですね。「浜岡原発」の1号炉から5号炉まで、今歩いているこの砂丘(相良層と呼ばれる泥岩砂岩の軟弱地層)の上に建てられた、文字通り”砂上の楼閣”であることを実感したのでした。また砂丘に続く遠浅の砂浜のために岸壁を作ることができず、遠浅の海の上に「取水口」の建物が建設されていることをこの目で確かめることができました。しかもそこは水深6m くらいで、その先は深く落ち込んでいる地形のため「津波が好きそうなところ」だとのこと。津波が来たら、たちまち冷却不能になることは一目瞭然。藤田さんの歌にあるように、「世界一危険な原発」であることを自分の足で歩いて、この目で見て実感することができたツアーでした。
(注:藤田さんはガイドを務めてくださった方で、「世界一危険な原発」を歌われました)

もう一つの感想は、御前崎市の16 人の市議会議員の内ただ一人の「脱原発派」として頑張っておられる清水さんのお話でした。清水さんに賛同される市議の方が、ほかにお二人いるけれど「脱原発」を口に出して表明できないということでした。地元の人々は、まるで「お上には逆らえない」という形で、「脱原発」を口にできない状況に置かれてしまっている。70年前のあの戦時に、国全体がまったく表現の自由を奪われていた状況と同じ空気が 、いま”原発立地”の地域全体を覆っているのだと感じました。(井邑)

?八王子から一番近い浜岡原発で頑張っている方々との繋がりを感じられて良かった。地元・近隣・県という広がりを視座に入れた取り組みの苦労や工夫をじかに聞くことができた。8人もの方が案内をしてくださり説明がわかりやすかった。何千億円もの無駄使い(箱物)を実際見て、市民の暮らしを豊かにするはずもない別次元の怪しさと不気味さを原発に感じた。

風紋が美しい砂浜を見ながら、浜で遊ぶ子供達の声を遠くに聞きながら「ここは、原発がなければ日本一美しい浜なんです」と話す言葉が心に残った。放射能で汚染された蒸気でタービンを回す。汚染されたタービンは定期点検では被曝労働者を生み出す。活断層に囲まれて林立する5個もの原子炉建屋は恐ろしすぎる。(斎藤義子)

?見学ツアーを企画して下さり、実際に自分の目で見て、感じることが出来感謝します。砂丘の上に建ち、まさに砂上の楼閣!市街地もすぐ側! 全く、ありえないことと再認識を強く致しました。伊藤ご夫妻の心からのご案内に、長年戦っていらした年月を思い、頭が下がります。私達も当事者という意識を持ち続けたいと思います。(K.K.)

?浜岡原発がいかに危険なものかを理解でき、どうしても廃炉にしなければと改めて思った。原発近くで生活する方々の不安は東京に住む私達以上に大きいだろう。(K.S.)

?百聞は一見にしかずですね。浜岡の方々のお世話、熱意も感動しました。皆さん自分のこと、子どもたちの未来の為と行動し勉強していることを力強く思いました。(塚本敬子)

?中電PR 館の展望台が撮影禁止となっていたが、国内では禁止ゾーンが増えているのだろうか。30 年前、原発依存社会は監視カメラが当たり前の社会になると言われていたが、それが現在進行形なのを実感。伊藤夫妻、藤田さんを始め案内してくれた皆様から元気をもらった。(A.K.)

?地球が丸く見える広大な海。サラサラの砂地・背後に迫る町並み。なぜここに原発が…まず怖い、信じられない!ツインタワーの原子力館は、箱は立派で内容は中途半端。警備は市民には意味の無い圧力、テロには無力。伊藤さん始め地元の方々の話は現地で聞くから一層染み入りました。特に海水温の7度上昇と生態系の変化。「それが4年動かさなかったことで海草が増えてきて回復してきた」との話には希望と力を感じました。(金子淑子)

?実際に原発を見学出来たことはもとより、ツアー参加者の一人ひとりから思いを伺えたのが良かった。原発をなくすことへの思いが更に強まった。(御滝達雄)

?原発を早くなくしたいけれど、そんなに簡単なことではないので、粘り強く、伊藤さんご夫妻や藤田さんのように、明るく取り組んでいくことが大切だと改めて思った。(S.K.)

?浜岡原発館内で「考えられないところまで考え抜いて安全対策をしています」とのアナウンスを聞き、こういうウソを平気で流している会社に新たな絶望を感じた。(上田恵弘)

?原発の広さ、建物の大きさを実感でき満足している。PR 館の展望室では、双眼鏡使用を止められたのには驚いた。テロ防止のためだという。(木谷恭子)

?浜岡原発の周りは市街地が広がり、民家も、市役所も、病院も近く驚きました。外国の人が「クレージー!」と言ったとか。日本人って寛容すぎるのか、無関心すぎるのか…ちょっと悲しい気持ちになりました(私もその一人)。現地の方の説明が良かったです。(R.O.)

?原発を遠くからは見ていたが、近くで目の当たりにしたことで実際の大きさを感じることが出来た。
原子炉の大きさ、燃料棒の長さに「たかがお湯を沸かすだけの為に…」と思った。地元で反原発を訴えて行くことの難しさを御前崎市議の言
葉に感じた。(水谷辰夫)

?現地の方々のお話を聞けてよかった。(本條武志)

?もっと参加したかったという人が多かった。一人では来れない素晴らしい企画でした。スタッフの皆さんに感謝。(中川勝夫)

?現地の方が何人も親身になって説明して下さりとても嬉しかった。5号棟をかなり近くで見た。どうってことのない建物の中に、恐ろし
いものがあるのだとつくづく思った。企画して下さったスタッフの皆様、ご苦労様。ありがとうございました。(林洋子)

?現場に行くことが重要であることを再確認しました。展望台からの撮影を禁じていたが、ここからの眺望が浜岡原発がいかに危険であるか一目瞭然だからだと思いました。伊藤さんたち地元の皆さんの長年の闘いの一端を見させて頂き、私達も八王子や首都圏でより広く伝えていかなくてはと思いました。(松田奈津子)

?今回の機会を作って頂きありがとうございました。また現地で案内頂いた伊藤実様他にも感謝致します。(坂本稔)

?浜岡原発について知る良い機会になりました。反対運動を継続すること、地方でも国でも反対する議員を増やすことを考えることが重要ではないかと思います。私は水素エネルギーに一番期待しており、原発を止めさせる武器にもなるのではないかと思っています。(桜井浩)

?企画自体が大変素晴らしいものでした。富士山とお茶畑、美しい砂原のある自然の豊かな地に全くふさわしくない原発の施設は、私が初めて真近に見るもので緊張しました。「見てふれて科学する情報パーク」というふれこみの「浜岡原子力館」に入って原発反対運動をしている方に説明を伺うのですから、こういう施設は反対派は大いに利用すべきだと思いました。
(伊藤セツ)

?原子力館の原子炉模型他で理解を深めることができた(事前学習会が有効であった)。現地の状況の報告が20 分ぐらいあればよかった。(伊藤陽一)

?原発事業に代わる事業・仕事を起こすのに協力すること、伊藤さんや地元四市の方々が原発0に向けて地道な活動を続け広げておられること、原発所在地と電力消費地の市民同志が連携することが大切、等を身にしみて感じた。(杉浦篤)

?市町村規模で原発反対の集会が開催されれば、多くの人が参加しやすく、身近な人が互いに原発を考えることができると思います。(山川賢次)

?知らないことが多いことを実感。そして知らないことの方が怖いなと感じました。(深沢夏実)?防潮堤は実際に見ると、間に合わせのものでしかないようです。できれば断層も見てみたかったと思いました。(東英明)

?原子力館では実物大の原子炉模型や防波壁模型も見ることができました。こんなに複雑で緻密な原発が、大きな地震に耐えうるものとはとても思えません。(阿部正治)

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ハカってワカった話12号 過去3年分のデータの振り返り

過去3年分のデータの振り返り

二宮 志郎

今回は、過去3 年分のデータを少し振り返って分析してみます。

【検体数の減少】


開室初年度の2012 年は1 ヶ月あたり100 を超えていた検体数は見事に減少の一途で、2014 年は月当たりの平均は37 検体でした。そして、2015 年1 月の検体数は28 でした。

「身の回りの土壌や、普段口にする食品に対する不安から測定してみたい」という理由での測定依頼が減少していくことは最初から予想されていたことなので、この減少をもってそれほど悲観的になることもありません。
ある程度のところで底打ちするはずだと思いますが、その底の部分を決めるのは、
?福島事故の影響が続いていることをはっきりと世の中に示し続けるために測定したい
?第二の福島事故を絶対許さないためにも日頃の監視としての測定をしたい
そういう人々の気持ちでしょう。みなんさんと一緒に、その底の部分を支えていく息の長い活動ができたらと思います。

【種類別検体数】


採取場所が東京になっている測定検体数を種類別に見てみると、きのこを除く食品は全検体数の減少と同様に一直線に減っているのですが、土・きのこ類などの汚染の高いものに関しては2 年くらいは検体数が減りませんでした。人々の測定して確認しておきたいという不安な意識は汚染が高いものに対しては長く続いたのではないかと思われます。

【種類別Cs137検出率】


同じく採取場所が東京での測定した検体のセシウム137 の検出率のグラフです。ハカルワカルに持ち込まれた検体の中での検出率になりますから、これは必ずしも世の中の汚染度を反映しているというわけではありません。人々が「これはちょっと測ってみたい」と思ってハカルワカルに測定依頼をしたものの中では、この3 年間でそれほど検出率に違いが出ていないということを表しています。

土の検出率が下がらないのは土壌汚染がそう簡単には消えてくれないことを考えると当然のことのように思われます。

【種類別Cs137検出値】


これは採取場所が東京でセシウム137 が検出された検体の中での平均検出値のグラフです。

きのこ以外の食品に関しては、検出限界値に近い測定値が多いので、このグラフはあまり動きようがなく、多くの意味を持ちません。
きのこ類は検体数があまり大きくないので、「それほど大きく変わっていない」という程度のことが窺えるだけです。

土の汚染の減り具合がかなり大きいです。表土の移動によりCs137 の物理半減期より早く減っている効果も多少は出ているのであろうと思いますが、それ以上に「ホットスポットを探して来て測定する」というのが一段落して、最近は普通の場所の測定が一般的になっているのが効いているのではないかと思えます。

開室一年目のころは、「うちの雨樋の下は8000 ベクレル!」みたいな結果が出るたびに、みなさんびっくりして、自分の身近なところにそういう怖い場所がないか一生懸命探していたようなところがありました。最近は、「ホットスポットは当然高い」という知識をつけてきた人が多く、怖いところをわざわざ探してきて測定するという人は減ってきている感じがします。

【これからは量から質へ】

ハカルワカルの測定は学術的な目的ではないので、一つ一つの測定の条件を厳しくそろえるというようなことはしていません。(やろうと思ってもできません。)そういう測定データをもとにいろいろ比較データを作っていくのは難しいところですが、それでも数がたくさんあれば統計的数値の中には何かが見えます。

3年間で測った総検体数が2653 という実績を活用するには、もう少し違う角度からの分析も必要かもしれません。また、何か思いつくことがあったらスプレッドシートのマクロを書いていろいろやってみることにします。

しかし、これから先は大量の測定データをもとに統計処理して何かを見るということは難しくなってきそうなので、狙いを絞った質の高い測定に移行していければと思います。測定検体が減ってもまだまだハカルワカルは続きますので、みなさんご心配なく。

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